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May 31, 2006

飛行機通勤。

今朝発って、夕方着きました。

映画3本(ウッディ・アレン監督の新作「マッチ・ポイント」、名画「エイリアン」(何度観ても恐いよぉ~。ネコが助かってよかったよぉ~)、ヨーロッパ映画「マタドール」)観て、原稿書きしている間に、「あっ」という間に着きました。

そして、成田から最寄駅までのバスの中で、大江健三郎さん著「さようなら、私の本よ!」を読破。

しみったれた日常生活のレベルじゃないスケールの「絶望」と「希望」について、わたしには無かった視点を貰ったような気がしました。この本を読む前と、読んだ後では、わたしの中の細胞のどこかが変化したような。。。
そんな気がします。

東京は暑いですねぇ~。蒸し暑いというか。

滞在は2週間。
その間に、九州の福岡・飯塚で「即興パフォーマンス」の公演をやります。
そして次の週末には「即興を遊ぼう会」(いち参加者として参加)、「マンスリーワークショップ」などがあって、その間に、いろいろな打ち合わせ、企業への研修、出前ワーク、シアタースポーツの稽古、友だちとの飲み会(^0^)などが入ります。

来年は「研究モード」に入りそうな予感がしているので、今年できることは今年にやりきりたいと思っています。

May 30, 2006

「見えない演劇(インプロ)教育」をどう視覚化するか。

たとえば、大豆を使って何か作るとしまず。

おしょう油を作るときと、納豆をつくるとき。
これは同じ大豆を使う食品ですが、大豆の調理の仕方、選らばれる道具、日数、手間ひま、創る手順などは全く違うはずです。

つまり、材料が同じでも、創るものが違えば、そのプロセスは全く違ったものになるということです。

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昨日のブログを書いて、「演劇と教育」について考えてみました。

(参考:「演劇」と言う言葉を、「インプロ」を置き換えて読むこともできます)。

「演劇」を「大豆」に例えてみると、それを「上演のため」に行うのと、「人間教育のため」に行うのとでは、
「演劇」の使い方、選ばれる道具(ツール)、日数や手間ひま、行う手順などはまったく違うはずです。

「演劇」はそもそも「総合芸術」と言われていて、さまざまな芸術的要素が集まって成り立つ複雑な活動ですので、「演劇」をする自体で、そうとういろんなことを学ぶことができます。

人間関係、自己開示(自分を他者に分かってもらうために表現すること)、身体への意識、五感への刺激などなど。

しかし実は、もし教育のために「演劇」を用いるのであれば、「ただ演劇をやる」だけでは不十分、手抜きなのです。どうしてかというと、「演劇」は「見えない教育」であり、「見えない教育」だけでは人間の成長には不十分だからです。

「通常の教育」は、こうこうこ~だから、これを学ぶことができる。と言うはっきりした意図と目的があって、ある活動をします。これは「見える教育」です。

それに対して「見えない教育」というのは、その活動全体を通して、人間の全体的な成長を促すという手法であって、具体的には、保育での「遊び」がこれに該当します。つまり「これが、ホントウに教育になるの?」という、一見ただのレジャーのようなものが、実はとても大事な教育的要素を含んでいるということです。

実際、「遊び」は子どもにとってと~っても必要なものなのです。
どうしてかというと、これは「その年齢の子どもの思考回路・認知力にとっては、そういう学習の仕方のほうが、よりたくさんのことを学ぶことができるから」なのです。

そして、人間の思考回路、認知能力が発達してくると、「見えない教育」では不十分となり、「見える教育」をしていかなくてはならない。つまり、知的レベルに相応しい教育をしていかないと、相応しい知能が得られないということです。保育での弊害は、子どもにはそういう教育的変化が必要なのに、「まぁ、遊ばせておけば教育になるだろう」と思ってしまうことです。

これは「演劇」を教育分野で活かすことにも関係すると思います。

つまり「演劇」を教育的に使う場合、参加者の年齢(知的レベル)に対応する必要があります。
5歳以上の子どもが参加者だとしたら、「演劇」を「見えない教育」的に使ったら、それは手抜きなわけです。
そして、そのレベルにあわせて、「演劇」を使った「見える教育」をしていかなくてはならない。
でないと、教育という主旨には叶っていないわけです。

ビジネスに「演劇」を活かすときも、まさしく同じように、「演劇」のどこを一般社会人の教育に活かすかということが分かっていないと、「ただ演劇体験をする中で、なんとなくいろんなことを学んで、なんとなく表現力がついたような気持ちになる」ということになってしまします。

大人(大豆)が、「こういう自分になりたい」という目的をもって(納豆になるという目的)やってくるのですから、使われるツールも、手間隙も、当然、しょう油を創るときとは違うわけです。

もちろんこの場合、参加者は知的能力が高い大人なわけですから、当然、与えられた「演劇」というツールが曖昧で不満足なものだったら、その評価は厳しいと思います。
だから提供者はそれをしっかり理解して、それらに対応するべきだと思いますし、「演劇」という素晴らしいツールが心無い提供者によって、参加者に誤解して受け取られてしまうことを危惧しているわけです。

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あ~なんだか、一般的で当たり前なことを書いているような気がする。。。(苦笑)。。

キヌガワ個人の意見としては、演劇は、人間が成長するための素晴らしい体験をもたらしてくれるものだから、ビジネス界でも教育界でも、どんどん活用してほしい。

ただ、「演劇」をそのままやるんじゃなくて、対象者に合わせたものを提供していくべきであるということ。
そしてそれは、もしかしたら「演劇」とはまったく別の姿に見えるかもしれないぐらい「違うもの」かもしれないということ。

つまり、ビジネスなり教育なりで「演劇」を使うのであれば、それなりの覚悟が必要なのではないか。ということです。これは自分にも言い聞かせている部分でして、(インプロに関してですが)、同じように活動をしていこうとしている、もしくはすでに活動をしている人たちとも共感しあえたらいいなぁ~と思っているわけです。

(わたしって理屈っぽいですね~)(^^;)


May 29, 2006

ビジネス界に広がる「演劇」。

今朝のニュージーランド・ヘラルド新聞「仕事場」セクションで、「All the world's stage...」という記事が載っていた。

これは、ニューヨークやロンドンの演劇スクールに参加する一般の社会人・ビジネスマンが増えているという記事である。

こういった演劇スクールではもちろん俳優向けのクラスもやっている。
そしてビジネスマン対象には「演技」を学んで舞台に立つことが目的ではなく、あくまでも「表現力を身につける」というのが目的だ。

「人まえで堂々としゃべりたい」という客席係りの女性
「自分の商品の良さをお客さんに表現したい」というセールスマン
「自分らしくルールに縛られないようになりたい」という技術者。

さまざまな人たちが集まっているらしい。

「モンティパイソン」(イギリスで大ヒットしたコメディ)のジョン・スリースは、「あなたは世界をユニークに見るスキルを持っている。わたしもあなたのように面白いことを言って人をひきつけたい。」というリクエストに答えて、イギリスでそのスキルを教えているそう。(わたしも習ってみたいなぁ~)(^0^)

「たくさんのビジネスマンは、ただお金のために働いているのではなく、それ以上の価値を仕事に見出し、情熱を注いでいる。けれど、それを表現するのがヘタである。」とスクールに通っていた生徒は言う。

The Actor's Instituteのビジネス担当者は、たくさんの会社が、仕事場でのクリエイティヴィティと表現に飢えていることを実感し、依頼がますます増えているという。

「クリエイティヴィティ(創造力)はシスティーナ礼拝堂の絵画を創ることではない。毎朝、コーヒーを入れるようなものだ」と。(そのくらい、創造・表現というものは身近なもの、気軽なものですよということ。)

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サンフランシスコで、「インプロ」を用いたビジネス研修を行っているスーさんも同じようなことをおっしゃっていた。
「アメリカでは、インプロを用いた研修が増えているのよ。」と。

イギリスでは演劇教育がちゃんと行われているそうなので、きっとビジネス界へもきちんと演劇教育が行われているに違いない。

この辺りの状況がどうなっているのか、とても興味があるので、時間があったらぜひ調べてみたいと思う。

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それにしても、世の中はものすごいスピードでグローバル化している。

日本に住んでいるとあまり気がつかないけれど、実は日本も、人々が注目する物事は、ものすごくグローバルなものに影響されていると思う。

演劇や表現がビジネス界と結びついていくことも、グローバル化の影響であると思う。

そしてそれらは、どこかの国が創ったものに日本が影響を受けているだけじゃなくて、日本が創ったものに世界が影響を受けているというものも沢山ある。

いい影響ならいいし、悪い影響だったら困ったものだ。

そこが見えにくいのは、メーテルリンクの「青い鳥」のように、自分の姿はなかなか見えにくいからかもしれないなぁ~。

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さて、すべての世界が舞台だとしたら。

あなたはどんなことを発信していきたいですか?


May 28, 2006

「イードラ」からの脱出!

やばい。「哲学」に、はまっています。

とくにカント。

(英語では上手く発音しないと、これまた”やばい”ことになっちゃいます。。。)(苦笑)

この人は、「理性」を理性的に批判した人で、「理性っていうのも、けっこう曖昧なんじゃないのぉ~?」と突っ込みを入れた人です。

そもそもカント(発音に気をつけよう!)は、フランシス・ベーコンという人(美味しそうな名前ですね~(^0^)から影響を受けています。この美味しそうな名前のおじさんがまた、なかなかいいことを言っているんです。

たとえば、「イードラ」の話。
人々がもっている「先入観」「偏見」「見かけ」を「イードラ」と名づけて、世の中にはいかに「イードラ」がはびこっているかを指摘しました。

たとえば、「人々は狭い洞窟のような世界に住んでいて、ホンモノではない何かの影を見て、恐がったり驚いたりしているだけで、外に違う世界が広がっていることに気がついていないのだ。」と。
これは「洞窟のイードラ」と呼ばれています。

ほかにもイードラには種類があって、「種のイードラ」(世界の起源にまつわる先入観)、「市場のイードラ」(情報にまつわる先入観)、「劇場のイードラ」(大掛かりな仕掛けによって威圧する先入観)などがあります。

このような「理性」を批判する考え方を徹底的に追求したのが、カント(発音に気をつけよう!)です。

カントはアンチノミーといって、矛盾した二つのことがもし成立しているように見えるとしたら、それをどう考えたらいいかを考えた人です。

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たとえば、X氏がAさんに、「君はいい人間だが、Bさんは悪いやつだから、付き合うのはやめなさい」と言う。
そしてX氏はBさんに、「君はいい人間だが、Aさんは悪いやつだから、付き合うのはやめなさい」と言う。
これだと、AさんとBさんがいい人間なのか、そうではないのかが分からなくなる。

いい人間はAさんなのか、Bさんなのか???

しかしこれは、「いいか、悪いか」という部分に焦点をあてるからそう見えるだけであって、この悩みはまったく意味がない。

どうしてかというと、そもそもX氏が「二枚舌」を使っているだけだからである。
そこに焦点を当てると、すべての「事実に見えるようなもの」は、まったく根拠のないものである。

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そしてこのX氏を、「理性」という言葉に置き換えて、カント(発音に気をつけよう!)は「理性っていうのも、信用できないんじゃないの~?」と突っ込んだわけです。

このようなことは、日常生活にあんまり関係ないことのように思えます。

しかし、AさんとかBさんとかX氏を、違う言葉に置き換えたら、もしかしたら「いいか・悪いか」どうしたらいいか分からなくなっていることが、実は悩む価値のない「水掛け論」だったということが見えてくるかもしれません。

哲学書を読むのは抵抗がある!と言う方で、「でもちょっとは読んでやってもいいだろう」と思われる方には、佐藤雅彦著『プチ哲学』(中公文庫)という可愛い本がおススメ。

著者は慶應義塾大学の教授さんだそうで、本文だけではなく、可愛いイラストも手がけられています。

この著者の活動の意外性も、生き方の「イードラ」から脱出するヒントだなぁ~と思ったりしました。


May 25, 2006

タイムワープしますよぉ~。

きゃぁ~もう25日です。

もう木曜日です。

週末がやってくる、しかも月末もやってくる!

5月も終わりに近づいています。

最近、一日が過ぎるのがすごく早く感じます。

「え、まだ何もやっていないのに、もう夜?」みたいな。

実際はいろいろなことをやって、やらなくちゃならない締め切りの原稿とかも、(ちょっとづつですが)進んでいるのですが、どうも「実態」がつかめないような感じです。

さて、あと1週間で日本に帰国します。

さっきも日本にいたような気がしますが。(苦笑)。

わたしの携帯電話は、日本からかけても通じるので、日本からの問い合わせを直接受けることができます。
もちろん先方はわたしが日本にいると思ってかけてくださるので、いつもびっくりされます。

先日、ひとりはアメリカ、ひとりはイギリス、ひとりは日本、わたしはニュージーランドという4者で、電話で会話をするというのをやりました。なんていう名前か忘れましたが、こういう便利なものもあるんですね。

タイムワープはサイエンス・フィクションの話かと思いましたが、どうやらそうでもなさそうです。

ひゅ~ん!

May 24, 2006

コギト・エルゴ・ネコ?

大江健三郎さんの『さらば!私の本よ』をゆっくり読んでいます。

主人公の名前が、長江古義人(コギト)というめずらしい名前で「どうしてかな?」と思っていたら、哲学の本に同じ言葉を見つけました。

「コギト・エルゴ・スム」。

「考える。故に我あり」。

デカルトです。

なるほど。

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さて、なにも新しいことのない日々、毎日が同じ。

そんな風に感じている方はおられますか?

考える。故に我あり。そんな風に考えているってことが、私たちが今ここにいる証であるかもしれません。

退屈な毎日を、新鮮で驚きの毎日にするためにはどうしたらいいか?

それは、この世界に生まれたばかりの「子どものような」視点で世界を見ることです。

『海馬』池谷裕二著によると、「大人の脳は想像以上に潜在能力を発揮できる。また手を動かすことで、自分の経験とすることができる。」のだそうです。

しかも、「わたしって年とったなぁ~」とがっかりさせられる記憶力については、

反対に、マンネリした気持ちで物を見ていると、驚きや刺激が減ってしまう。刺激が減るから印象に残らない。残らないから、記憶力が落ちたような気持ちになるのだ。

だから、つまり、自分の世界をいかに新鮮に見れるかということが、退屈なマンネリ毎日から脱出する方法なんです。

まわりの世界を新鮮に見ていられるかどうかが大事。

生きることに慣れてはいけない。

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こんなことを書いている間、うちのネコ(松)が、キーボードに嫉妬して、キーボードに乗っかってきます。

「こらこら、どきなさい、きゃぁ~、文章がすべて消去されちゃったじゃない!!!」

なんとかわたしの仕事をやめさせて、かまってもらいたいみたいです。

ふ~む。

ネコもなかなか考えています。

「コギト・エルゴ・ネコ」?

(文法は分からないけど。)

May 23, 2006

インプロの心理学的効果。自我の輪郭。

ちょっと小難しい話になりますが、「自我の確立」とは何か?

それは、「自分と他者の区別がつく」ということです。

「自分と他者が違うなんて、分かってるよぉ~」と、どんな大人も言うでしょう。

しかし、そうでしょうか?ちゃんと違いを理解できているでしょうか?

たとえば、パーティなどの会食で、大皿料理が出てきて、肉を食べてその骨を大皿に返してしまう人は、「自我が確立していない」といえるそうです。

「そんなことする人いないよぉ~!」と思われるでしょうか。
これは極端な例だけど、こういうことって、日常によくあるんじゃないでしょうか?

たとえば、仕事場に、自分の個人的な感情(なんとなくイライラしているとか、機嫌が悪いとか)をぶつけてしまう人。公共の場とプライベートな場所の区別がついていないですよね。これは、社会という大皿に自分が残した骨をもどしていることにはならないでしょうか?

つまり、これって、「自我が確立していない」ということじゃないだろうか。

そう思います。

さて。
世の中では、よく欧米の人は自我が確立していて、日本人はそうでないと言われています。

そんな極端な決め付けはできないと思います。
アメリカ人でも確立していない人はたくさんいると思います。

ただ、ニュージーランドに住んでいると、みんな若くから「自我が確立されているなぁ~」と関心することが多いのは確かです。プライバシーと公共の場をはっきり分けて、マナーがしっかりしているんです。マナーとは、食事などのマナーだけではなく、社会的なマナーも含まれます。

だからといって、「他者に冷たい」という訳では、もちろんありません。

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彼らの特徴は3つです。

1)自分&自分の生活をとても大事にしている。

2)それと同じように、他人&他人の生活を尊重している。

3)だから、気持ちよく他人の幸せを喜ぶことができる。

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わたしは、西洋人の友だちと一緒にいて、この違いに「ハッ!」とさせられます。

日本で出会った人たちの中には、「自分と他者の、生活、幸せ、時間、スペース、価値観」の違いを理解できない人たちが結構いて、「あなたもわたしの一部だよね」と暗黙の契約をもとめてくる人もいます。

そういう雰囲気はニガテで、でも引き込まれたりして、同盟を組んだりして、でもそれは同盟じゃなくて、公私混同だったりして。

わたしが子どものころ出会ってきた友だちと今の友だちたち。

かもし出す雰囲気の、いかに違うことか。。。

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わたしも、「自我が確立した人たち」を見習いたいです。

こういう態度が、”人間として”大事だと感じるからです。

なにより、相手を尊重することが相手をノビノビ・イキイキ、成長させることであるし、それは逆に言うと、わたしもそういう扱いをされたいからです。

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不思議なことですが、日本では「自我が確立している人」は、「自我が確立していない人」から、「冷たい人」とか言われてしまいます。

「自我が確立していない人」にとっては、「どうして大皿にわたしの骨をおいちゃいけないの?どうしてそんな冷たいことを言うの?淋しい。ひどい。傷ついた。そんな人だとは思わなかった。」などど思うからです。

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さて、発達心理学的に言うと、「自我」は、幼児期から獲得するものです。
ちゃんとした大人と教育に育てられれば、「自我は確立できる」とピアジェは言っております。
「自我の確立」は、親や大人と「愛情関係がちゃんと築けていたか」ということも関係すると言われます。

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さて、そんなことを言っても、もう私たちは大人になってしまいました。

私たちの幼児期は、もう帰ってきません(涙!)。

だから、今、自我が確立してようが、していまいが、はっきり言ってどうでもいいことかもしれない。

むしろ、大人がもつ「理性」によって、「他者と自分を区別できない自分」を認めて、自分を愛して、他人を愛することをするしかないように思います。

そのサポートには芸術があります。

いい音楽、アート、そして演劇は、みなさんを慰めてくれるし、元気を与えてくれる。

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そして、インプロは、「自我が確立されている」と言われているアメリカからやってきました。

だから、インプロ・ゲームは、「自分」と「他者」をはっきり区別した考え方から成り立っています。

「インプロ・ゲーム」をやると元気になれるのは、そういう枠組みの中で、自分を自由に泳がしてあげるなかで、「自我」がはっきりしてくるからではないだろうか。

「自分」と、「他者」との、違い・同じ=個性という輪郭がはっきり見えてくる。

だから、精神的に非常にいい状態でいることができる。

これは、インプロにおける心理学的効果だと思います。

(これって、ちゃんと証明してみたいなぁ~。。。)


May 22, 2006

インプロはオーディションに間違いなく役立ちます!

オーディションの話題でもうひとつ。

わたしはマイケル・ショトレフという人の『ザ・オーディション』という本を翻訳しました。
フィルムアート社から出版されています。

この本には、人前に出る機会のあるすべての人にとって、目からうろこが落ちるようなアドバイスが山盛りに書かれているのですが、その中の一つが、「オーディションというのは、”誰かに”なりきるんじゃなくて、”自分らしく”いることが一番だ」です。

つまり、”要求されている役が「優等生」だとしても、「優等生」を演じるな。「自分」を出せ”と言っているのです。

これは就職面接とまさしく同じシチュエーションです。

面接官は、学生の「本質」が見たいわけで、学生が「着飾っている仮の姿である、優等生のあなた」を見たいわけではないということです。だから、「きっとこういう役が望まれているのだろう」と決めないで〔マニュアルなんか信じないで)、自分らしくいることが大事だし、「優等生でいなくても、馬鹿だったり、弱かったり、情けなかったりする自分を出しちゃっていいんだよ。それを恐がらなくていいんだから、やってごらん」と言っているのです。

この考え方は、わたしのオーディションへの関わり方を大きく変えました。

(はっきり言って、オーディションが恐くなくなりました!)

そうです。選ぶ側の人は、みなさんの「みなさんらしさ」を見たいわけです。これは「頭がいい」とか「難しい言葉を知っている」とかそういう知的なことでは全くありません!みなさんが何に「感激」するのか、何に「闘志を燃やすのか」、何に「真剣に取り組んでいるのか」を知りたいのです。そういう姿を見たいのです。単純な、ありのままのあなたを。

だから、「落ちたらどうしよう!」とか、「嫌われたらどうしよう!」とか不安な気持ちや、「面接官は恐い人」とか「敵」とか思う必要はないのです。

面接官はわたしたちの「味方」です。

ただ、ありのままでいること。

私たちは小学校から高校まで、はたまた大学まで、「こうしなくちゃいけません。」とか「できなかったら落第です」とか言われて、お行儀よく優等生でいることがいいことだと教育されてきました。

なんと12年間以上です!

思想家の吉本隆明さんが「なにごとも10年やれば、なんとかなる」と『悪人正機』〔新潮文庫)でおしゃっていますが、その言葉を借りると、わたしたちは優等生づらを、10年間以上もやってきてしまっているわけです。

こりゃあ、なんとかなっちゃいますよね~(^^;)。

だから、わたしたちは「ありのままでいい」と言われても、ホントウにそうなのか、ホントウに先生は怒らないのか、ホントウに内申書には響かないのか、不安になってしまうのです。もう大人なのに。。。

可哀想なわたしたち、、、。

そんな私たちを解放してくれるのが、演劇であり、インプロだと思います。

演劇は決められた台本で、誰かが考えた言葉を使うけど、インプロは自分の言葉で表現するから、よりインパクトがあると思います。それに治癒効果もあります。

わたしはインプロを初めてから、間違いなくポジティブになったし、(「ポジティブにならなくちゃ」とがんばってポジティブになったんじゃなくて、ポジティブそのものになったって感じ)、オーディション会場でも、(今までよりは)自分らしくいられるようになりました。

オーディションで”自分らしく”いたい方には、『ザ・オーディション』とインプロがおススメですよ~!


オーディションは軽い演技で。

今日は、映画のオーディションでした。
『30days of nights 』というアメリカのホラー映画でバンパイアーの話。
私がオーディションを受けた役は、ノリコというシェリフの妻の役。

先日ブログにも書きましたが「バンパイアに血を吸われる役がいいなぁ~」と思っていたのです。

んが。

なんと、このノリコさん、映画の最初に、事件もな~んも起こっていないうちに、シェリフとバカンスにでかけてしまうという設定ではありませんか!

な、な、なんと間抜けな。
もうちょっと待っていれば、街にバンパイアーがやってくるのに。
血を吸われるかもしれないのに。。。もうちょっと待ってればいいのに、ノリコ。。。

ということで、ちょっとがっかりしたのですが、まぁ、それはこれ、オーディションはオーディション。

わたしは、オーディションという微妙な緊張感が大好き!(^0^)!
受かる、受からない以前に、この雰囲気が好きなんですわ~(ちょっと変かな?)

会場に行ったら、友人のジムがいた。
オーディションを受ける人たちの相手役をする仕事だそうだ。

ジムはすんごくいい役者さんで、ある舞台で見て、「なんてステキな俳優さんだろう」と思っていたら、うちのだんながプロデュースしたドラマにも出演していて、「きっと縁があるに違いない」と思っていたら、オークランド・シアタースポーツのかなめ、ローリーの奥さんだということが発覚。ちょっとがっかりもしたけど、(なぜ?)、それ以来、とてもいいお友達になったのです。

それにしても、こんなに経歴もあって実力もある役者さんでも、食っていくためにはこういう仕事もするんだなぁ~。

ホントウに俳優って大変な仕事です。試練です。。。。

さてオーディションの結果はまだ分かりません。

ただ、わたし的にはあこがれのジムと一緒にシーンができたので(たった2テイクだったけど)、とても満足。
思い残すところなし!(わたしのオーディションを受けるモットーは、「自分が楽しむ」ということにつきます。これ精神衛生上も大事なんですよ。でないと、意味無く自分を傷つけてしまうので)。

ただね、何が残念かといえば、ホントウは、超こわ~い雰囲気とか、ぶきみな笑顔とか、「きゃぁ~!」って叫ぶとか、「うぐっぐっつ」て背後から血を吸われるとか、そういう演技をしてみたかったなぁ~。(苦笑)

なにせ、ノリコさんは、映画的にホラーの匂いをかもし出さないうちの登場なので、そういうホラー演技はぜ~んぜん要求されませんで、とても軽い演技を要求されました。

軽く演じるのって、そんなに簡単じゃないんですわ。
シリアスに演じるほうが簡単だったりします、わたしの場合には。
(微妙なニュアンスを出す演技が一番難しいと思うし、それが一番やりがいはあるな。わたしの場合には)

てなことで、「え、こんなもんでいいの?」ってほど、楽に演じました。

キャスティングの人はわたしを推薦してくれているんだけど、わたしのスケジュールがタイトなので、現実的には難しいかもなぁ~とちょっと思ったりしています。

さて、どうなることか。


May 21, 2006

ドイツへ思いをはせる。

6月にシアタースポーツの世界大会があって、そのためにドイツとのやり取り。

旅行の日程を変えるため。

スポンサーとのからみで、ドイツへの行き帰りの日程は早々に決めなくてはならなかった。
それはまだ去年の話だったので、そのときはスティバルが終わってから、しばらくドイツを旅行しようと思っていた。そしてニュージーランドに帰る予定にしていた。

しかし今年に入って、日本の仕事がとても増えてきた。
「どうしても!」と説得されて、ドイツの世界大会が終わったら、すぐに日本に帰って仕事をすることになったのだ。

それはとてもありがたいことで。

ただ、飛行機のチケットを変更するための手続きがと~っても大変!
ドイツから送られてきたチケットはドイツ語。これをニュージーランドの航空会社に持っていって変更してもらおうとしたら、「このチケットはもう変更できません」といわれてしまった。おそらく格安のフィックスチケットに違いない。

これからドイツにメールをして、説明して、変更して、、、。
準備にめっちゃ忙しくしているクリストフには申し訳ないけれど、なんとかチケットを変更してもらうようにしたい。

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ドイツへ行くので、ドイツの前衛芸術についての本を読んでいる。

『現代ドイツのパフォーミングアーツ』(三元社)だ。

表紙の写真が、まず、ステキ。そそられる。
ガラス張りのボックスのような空間に、上半身裸の男女が絡まりあっている。
キレイでグロテスク。

いろいろなアーティストや演出家が紹介されている。

彼らがどんな作品を創っているのか、それは実際に観てみないともちろん分からない。
けれど、わたしの中の「現代ドイツのパファーミングアーツ」のイメージは勝手に膨らんでいく。
それはまさにキレイでグロテスクで、人間の真実をあらわし、観客の問題提起をする舞台である。
自分で想像して自分でドキドキする。

「わたしはそういう舞台が見たかったんだなぁ~。」

そんな時間も、またいいもんだ。


May 20, 2006

インプロの練習は月一回ぐらいでいい?

今日は「即興を遊ぼう会」です。
毎月定期的に行っていて、毎月講師&テーマが変わります。
ですから、「久しぶりにリフレッシュしたいな」という人たちが気軽に参加できる会です。

みんな今ごろ楽しんでいるんじゃないかな~(^0^)~

興味のある方はぜひご参加くださいね。次回は6月10日です。

「即興を遊ぼう会」に思いをはせて。。。。。

ただいまニュージーランドのオークランドでは「コメディ・フェスティバル」が行われています。200以上のパフォーマンスが2週間に渡って行われます。先日、オークランド・シアタースポーツの公演に行ってきました。(といっても、会場はブリティシュ・バーの2階ということで、かなりラフな感じでしたが)

ショーはもちろんリラックスしてとても楽しいものでした。やっぱりレベル高い!

なんたってプレーヤーがリラックスしてます。
緊張でガチガチとか、シーンに入れないとか、そういうのが全くない!

クレア、ローリー、ジム、ナイジェルなど、久々の嬉しい再会でした。

「月に一回稽古しているから、顔を出しなよ~」って言われたので、「ねぇ~もっと頻繁に稽古してよぉ~。そうすれば、どこかで参加できるから、、」と言うと、もう20年以上もインプロをやっているナイジェルが、「いやいや、あんまり稽古しないほうがいいよ。月一回で充分だよ。」と苦笑いしていました。

まぁ、月一回は少ないかもしれないけど、ナイジェルの言っていることもあながち間違いではないと思います。

これはシアトルのランディも言ってるけど、インプロ・プレーヤーの陥りやすいことは、「インプロ」プレーヤーじゃなくて、「ゲーム」プレーヤーになっちゃうこと。上手くゲームをやろうとして、ゲームの練習をしてしまう。「このゲームはこうやると上手くいく」みたいなことをたくさん沢山練習してしまう。←この考え方で練習すると、本番に即興ができなくなるくせが確実につきます!インプロのパフォーマンスなのにマンネリしてしまうのです。

これは観客の前で「上手くやりたい」という不安の表れでもあり、「上手く見せたい」という(悪い言い方ですが)B級俳優さんの考え方です。

だからみなさん、あんまり稽古しすぎないようにね。

インプロを自由に使いこなしたいのであれば、基本的なことを何度も練習することです。
野球の千本ノックみたいに。そうすると、基本が身につくので、なんにでも応用がききます。

そしてこれは、実はワークショップに毎週行かなくてもできることだったりします。

自分ひとりで練習できるのです。(そのほうが、自分のスキルにジャストミートできますしね)。

そして「即興を遊ぼう会」のいいところは、毎回メンバーが違うし、経験のレベルも違う。
つまり、「ちゃんと即興の練習ができる」ところがいいところ。
いつも新鮮に参加できるところが魅力といえましょう。

やっぱり最後は宣伝になっちゃった(苦笑)。。

な~む~。。。

May 18, 2006

「人間は自由であるように運命付けられている」サルトル。

人間は、産まれたときから完全に「自由」な存在だといいます。

そしてこの「自由」は主体的なものだから、責任も伴うわけで、「私たちは自由だ。わぁ~い、わぁ~い!」と、もろでを上げて喜んでいられるという訳でもなさそう。サルトルは「”自由”という拷問を受けているといえるかも。」とも言っています。

いやぁ~、「自由」って大変みたいです(苦笑)。

人生は、自分で選ばなくてはならない。
その「自由」があるからこそ、人は「さて、この”自由”どうしよう?」と悩むのだそうです。
こうやって考えるべき(悩むべき)「課題」が生まれ、だからこそ「解決したい」という気持ちが生まれるという。
そういうサイクルだそうです。
だから、人生を真剣に受け止めれば受け止めるほど、そこには必ず「不安」が起こるってわけ。

たしかに、ベルトコンベアーに乗って流されている分には、別に悩む理由もないものね。「悩み」はシンドイし苦しいから、「できるだけ”考えないように”しよ~、だってシンドイもんね~」という生き方を自ら選ぶことだってできるわけです。実際、そうやって生きている人たちもいるよね~。(それが悪いって訳じゃない)。

人生に「不安」を感じているみなさんへ。

みなさんの「不安」は(サルトルが言うことには)、運命らしいです。

生きようとすればするほど、際限なしに「不安」は生まれるらしいっす。

それは仕方のないことで。(と言ったら、元も子もないですね)。

どうしたらいいか?

それは、「不安」を「イエス・アンド」することなんじゃないかな~?

(サルトルから始まり、インプロ(もしくは仏教?)に終わったエッセーでした。)

な~む~。。

コメディア・デラルテ公演のご案内。

世界最古のインプロ・パフォーマンスである「コメディア・デラルテ」の公演があります。
しかも、コメディアの世界では超一流のアントニオ・ファーヴァさんによる『プッチネラ』です。

主催者の吉田さんからお知らせをいただきましたので、みなさんにもおすそ分けしますね。

興味のある方はぜひ!

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☆デラルテ舎より舞台公演のお知らせです☆

コメディア・デラルテ「プルチネッラ」

デラルテ舎ではコメディア・デラルテのワークショップ無事終わり、
いよいよ来週は舞台公演「プルチネッラ」の本番です。
コメディア・デラルテの真髄を現代に伝えるマエストロ、
アントニオ・ファーヴァの世界が、いよいよ今年は
“日本の”劇場でも堪能できるのです。
いつも「コメディア・デラルテってどこで観られるの?」
とおっしゃってる皆さん。これぞ正真正銘の本物です。
お見逃しなく!


◆シアターX(カイ)提携公演◆
プルチネッラ ~その生と死と復活~
Vita Morte e Resurrezione di PULCINELLA

◎作・演出・主演・音楽:アントニオ・ファーヴァ
◎共演:光瀬名瑠子
◎ピアノ:クラウディオ・マッティオーリ

◎劇場:シアターX(カイ)
アクセス⇒http://theaterx.jp/access.html

◎日程:5/23(火)-25(木)
  23(火)=19:00, 24(水)=14:00&19:00, 25(木)=14:00

◎入場料:前売り4,500円 当日5,000円(全席自由・税込)
チケットのご予約は、デラルテ舎 info@dellarte-c.com まで。
お名前・日時・枚数をお書き添えの上、送信してください。
チケットは、当日受付で前売り料金でご用意いたします。

◎公演の詳細情報はコチラ⇒http://www.dellarte-c.com

デラルテ舎
代表・吉田雅之
info@dellarte-c.com
http://www.dellarte-c.com

May 17, 2006

インプロワークスが読売新聞で紹介されました。

5月11日の読売新聞の夕刊に、営業インプロについての記事が載りました。

ずいぶん前に取材を受けたので、わたしにとっての新鮮な記事でした。

「アイデアを肯定するところから始めよう」。

これはとてもよい言葉。

読んだ人たちの心に染み入りますように!


May 15, 2006

スウェーデン映画『歓びを歌にのせて』

スウェーデン映画『歓びを歌にのせて』を見ました。

ニュージーランドではそんなに話題になっていないくて、気にもとめていなかったのですが、友人のイアン・ジョンが「昨今の映画でベスト・フィルムだっ!」と言っていたのと、岡山の小松原先生から「ぜったおススメ!」とメールをいただいたのがまさに同じ日だったので、「ど~やらヒューマン・ドラマらしいぞ。それでは行ってみようかな」という軽い気持ちで。

いやぁ~~~!!!!

良かったですぅ~~~!!!!

ストーリーは取り立てて珍しいわけじゃないけれど、俳優さんたちが作る独特のリアリティとストーリーの進行で、最後は涙っす。(しかもセンチメンタルじゃないんですよ、これが)。

それにしても俳優さんたちすごい。アメリカの役者とぜんぜん違う演技方法!いったいどうやって?
エキストラさえも魅力的。

いろいろな意味で、「やっぱりこれが本物だよな。これでいいんだな。」と思える映画でした。

この映画を撮った監督さん、ありがと~!

東京ではもう終わってしまったのかな?(だとしたら、DVDでもぜひ!)

確実に時代遅れですが、「編み物」しました。。。

この週末に、ちょっと編み物を始めました!

わたしのキャラクターとぜ~んぜん合わないのですが、わたしは実は、家庭科に属する作業がとても好きです。

お料理も、お裁縫も、編み物も。

お料理はニュージーランドに来てから,必要にせまられてますますするようになりました。
パーティが多いし、手軽に買えるお惣菜屋さんとかあまりないし。夫が料理好きというのも理由のひとつ。

お裁縫は昔、パジャマとかシャツとか作っていたんだなぁ~。
若い頃は舞台用の衣装を作っていたし。こちらではミシンが高いのでまだ買ってないけど、そろそろ欲しいな。

そして編み物。

実は、はずかしい話ですが、わたしは中学高校のときは、バレンタインデーや彼氏の誕生日に、せっせと手編みのセーターを編んだ方です。(キャー、はずかし~!)

高校の時の彼氏はアメリカに留学していたので、セーターの大きさが分からず、想像しながら編んだら、彼の背丈の二倍ぐらいの巨大なセーターになってしまったことがあったりして、あんまりすばらしい編み者ではありませんでしたが。(^^;)

先日、日本に帰国した際に、とてもすてきな本を見つけて、自分のこころの充電のために買いました。
その本は『かわいい糸に出会ったら』という、編み物の本。写真や編み物のデザインがとてもステキだったのです。

ということで、この週末に材料を買い込んで、さっそく編み物始めました。

最初は手がおぼつかなかったものの、数分でスイスイ!

編み物は無心になれるところがいいですね。

それから、やった分だけ作品になるところが楽しい。

テレビを見ても、見ただけ作品になるということはないですもの。

もうすぐ作品ができあがります。できたら(ちょっと照れるけど)写真を載せようかなぁ~。

編み物を楽しんで週末は仕事をしませんでしたが、その分、今週がんばりましょう~!

May 12, 2006

聞き上手な人

読売ウィークリーで、脳科学者の茂木健一郎さんが『脳の中の人生』というエッセーを連載されている。

3月号では「奇跡の聞き上手の秘密」と題して、「人の話を聞く」ということについて書いている。

そのエッセーの冒頭はこうだ。

「人が成熟したかどうかの一つの目安は、どのくらい人の話を聞けるのか、というところになるんではないか。声高に自分を主張する人ばかりだと、社会がギスギスする」

たしかに、「人の話を聞きなさい!」と、子どものころから耳が痛いほど教育されてきているはずなのに、わたしたちはなかなか「人の話を聞く」ことができない。人の話を聞くぐらいなら、死んだ方がマシだ!とは言いすぎだろうけれど、人の話しを聞く時間があるのなら、自分の話を聞いて欲しいと思う人が大半なのではないだろうか。

異業種交流会というのがある。わたしも誘われていくことが、(たまに)ある。そこでは、いろいろな職業の人たちが集まって、名刺を交換して、(文字通り〕交流するのであるが、ほとんど「交流」とは言えない。ほとんど全員の人が、「願わくば、自分のビジネスに利用できる人がいないだろうか。そういう関係がつくれないものか」という下ごころでギラギラしている。

こういう場で「人の話を聞く」ことをしたら大変だ。ほとんど全員が「自分のしている(またはしたい)ビジネスの話」を持っているので、雪崩のごとくそういう話を聞かされる。話を挟む隙間はない。相手はわたしの「感想」なんてほしくないのだ。ただ自分のアピールがしたいだけ。ビジネスの人たちは、「物理的にどう利益を上げるか?」が問題なのであり、相手と人間的に温かい関係を結びたいなんて、ほとんどの人は思っていないので、「相手が退屈しているんじゃないか」「相手にどう思われるか」なんてことには気を配らない。

さて、こういう場面はここだけではないだろう。

きっと、そこかしこにあるに違いない。

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このエッセーの中で茂木さんが絶賛しているのは、心理学者で文化庁長官の河合隼雄先生の「聞き上手」ぶりにである。実に、惚れ惚れするような聞きっぷりでいらっしゃるらしい。

実は。わたしの将来の夢のひとつに、「河合隼雄先生とインプロすること」がある。

きっと河合先生なら、インプロもお得意に違いない。
フルートを吹かれるというから、河合先生のフルートに合わせて、わたしがインプロで即興ダンスを踊るっていうのはどうだろうか?な~んて、馬鹿な夢想をしている。(河合先生ごめんなさ~い!)

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それにしても、コミュニケーションとは相互関係である。

どちらかが話すから、どちらかが聞きく側になる。

それではもし、「聞き上手」と「聞き上手」が出会ったらどうなるんだろう?

「ボクは聞くから、そちらが話してくださいな」「いやいや、とんでもない。こちらこそ、お話しを聞かせくださいよ」。

さて、どちらが話して、どちらが聞くのかな?

May 11, 2006

マンスリーワークショップ開催します!

マンスリーでワークショップを行うことにしました。

わたしがほとんど毎月、日本にいられることになったので、
やってみたかった「定期的ワークショップ」をすることにしました。

このマンスリーのワークショップは、ワークショップ一回にひとつのテーマがあり、継続して受けると、インプロの(テクニック的な)全体像がつかめるというものです。

1)初級1(オファー、協力、信頼、五感)
2)初級2(イエスアンド、フォーカス)
3)初級3(フォローザ・フォロアー、変化に対応する)
4)初級4(ジブリッシュ他)

5)中級1(シーンづくり)
6)中級2(ストーリーづくり)
7)中級3(キャラクターづくり)

8)アドバンス1(シアタースポーツ)
9)アドバンス2(ロングフォーム)
10)アドバンス3(ソロインプロ)
11)アドバンス4(いろいろなゲームたち)

6月10日・11日の土日から始まり、毎月どこかの土日で行います。

くわしくはスケジュールをご覧くださいませ!


May 10, 2006

できたら血を吸われる役だといいなぁ~(苦笑)。

「本職」以外で売れっ子のわたしに、久々に「本職」の話がきた!

アメリカ映画『30days of Night』のオーディション!

なんと、ホラー映画でバンパイアーが主人公らしい。

映画はニュージーランドのオークランドで撮影されるので、現地からも俳優が出演する。

わたしがオーディションを受ける役は「のりこ」という日本人女性で保安官の妻という設定。小さい役だ。

台本は一部しか渡されていないので全体を把握できないけれど、できたらバンパイアーに殺される役がいいなぁ~。大胆に血を吸われて、「あ~れ~っ!」っとか。ホラー映画なんだから、きっと恐ろしい殺され方をする登場人物も多いだろうから、なんとかその一人に加わりたいものだ。(苦笑)。

そういえば、わたしの友人が、日本のホラー映画に出演したことがある。
(タイトル忘れた。けっこう有名な映画だったんだけど。。。)

彼女は、映画の冒頭にいきなり殺される役だった。

映画が始まるとすぐに、彼女の顔が巨大アップ!

色白で丸ぽちゃな可愛い顔が、ちょっと歪んで、そして消えていった。。。

か~っこ良かったなぁ~!

わたしも、小さな役でもいいから、なにかインパクトが残せるといいな。。。

まぁ、その前に、まずはオーディションでインパクトを残さなくちゃだなぁ~。

さて、どういうインパクトでいくとするか???


インプロってどんな匂い?

フジテレビCSで放映されている「インプロ!」という番組のお手伝いをさせていただけることとなった。

出演者のみなさんのウォーミングアップ係りとして。

このブログでも書いているように、この番組は「インプロ」を紹介する番組ではなくて、劇団の役者さんたちのエネルギーや舞台のライブ感を表現するための番組である。だから、「インプロ」のテクニックだけが全面に出てもだめなのだ。

たしかに、インプロをやっている人たちのパフォーマンスの中には、「インプロ」のルールに縛られすぎてそこから出られなくなっているものがある。これは見ていて退屈だ。即興でやっている良さが、ルールで消されてしまっている。

たとえば、よくある例で言うと、よくないインプロプレーヤーhあ、「イエス・アンド」しなくちゃとか、「場所や登場人物の名前を早くつくらなくっちゃ」とかいうトラウマを抱えている。普通のお芝居や映画では、これらは自然にさりげなく登場するものである。だからインプロでお芝居をしても、それは自然に登場すべきだ。しかし「インプロ」をやっている人は、「最初にプラットフォームを作ること」と習っているので、どうしても不自然に場所や登場人物の名前を出してしまう。

それから、「インプロ」といってもリスクを負うところはなかなか訓練できないので、だいたいが「安全にシーンを創るためにどうしたらいいか」の稽古になってしまう。こういうグループのやるパフォーマンスはだいだいマンネリ。
お決まりの登場人物に、お決まりのシーン、お決まりの展開になってしまう。

それから、「ノー」と言えないこと。これは「イエス・アンド」の呪縛でもあるのだが、「ノー」と言えない。
常識的に考えて、「これはノーだろう~」ということにも「イエス」してしまう。しかも、このイエスは当然ながら「ココロからの同意」ではなく、「そういうルールになっているから」のイエスなのでホントウの意味ではイエスではない。

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<それでは簡単に、「イエス・アンド」の呪縛について説明しよう>

たとえば主人公がピーマンが嫌いだとする。でもたとえば相手役がこう出るとする。「○○ちゃん、ピーマン食べなくちゃだめでしょ?食べなさい!」って。そうなるとこの主人公、「イエス・アンド」の呪縛があるので、簡単に「分かった食べるよ」と食べて、「美味しい!」とココロにも無いことを言ってしまう。

この反応のまずい理由は2つある。

1)お客さんを裏切ることになるから。

最初のシーンでピーマンに対して「ノー」と言ったら、お客さんは「そうか、ノーなんだな」と理解する。お客さんというものは、登場人物たちが言う言葉を「真実」として受け止める。それなのに、簡単に「イエス」に鞍替えすると、お客さんは、「え?ピーマン嫌いだったんじゃなかったの?あれはウソということ?」と混乱し、主人公の言葉をそれ以降、信用しなくなる。

2)ストーリーのモチベーションが

もしそういうストーリーであれば、主人公はすぐにピーマンを好きになったらおかしい。だって最初のシチュエーションは、ピーマンが嫌いなのだから。「ノー」と言ったことを大事に使ってほしい。最初のシーンが「ピーマン嫌い」だとしたら、このストーリーは、「ピーマン嫌いの主人公がいかにしてピーマンを克服し、成長していくか」というものだ。だから最初のモチベーションが崩れてしまうと、このストーリー自体が成り立たなくなる。

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このように「ノー」といえないこと=自分の意思を貫けないことが即興で物語をつくっていくこと(インプロでストーリーをつくっていくこと)に弊害を与えることもあるのである。

かといって、「イエス・アンド」が悪いといっているわけではない!

「イエス・アンド」は物語づくりに、非常に効果的なツールだ。

しかし、「~ねばならない」のルーティンに陥ったとたん、このような弊害もでるというわけだ。

(この辺り、スタニスラフスキーシステムやメソッド演技が誤解されて、胡散くさく思われているニュアンスとちょっと似てるかも。。。)

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最初の話に戻ろう。。フジテレビCSの「インプロ!」について。

と、いうわけで、フジテレビの人たちはすでに、「インプロ」している人たちのパフォーマンスのちょっと独特の「匂い」を嗅ぎ分けていて、「それはいかがなものか」と感じているに違いない。

これはとても鋭いご指摘である。

この辺りが、「インプロ」が一流品になるか、二流品になるか、高級ブランドになるか、バッタ物になるかの分かれ目かもしれないなとも思う。

いずれにしても興味深い。。。


May 09, 2006

インプロが食い扶ちの人へ。

インプロに関して、いろいろなお問い合わせをいただく。

興味深いことに、「インプロのトレーナーになりたい」という方々からの問い合わせが多い。

今までは、まずインプロを体験してみて、「もっとインプロをやりたい!」という感想の先に、インプロバイザーとして能力のある人たちだけにトレーナーという道があった。けれど、問い合わせをいただく中には「インプロはやったことがないけれど、面白そうだから、トレーナーになりたい」というものもある。

やったことがないのに、どうしてなりたいと思うのだろう???

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考えてみれば、世の中にあるさまざまな「習い事」はそうやって身につけていくものも多いのかもしれない。

「やったことないけれど、絵手紙は日常にも役立つだろうしやってみよう。」みたいな。

「三味線の曲は聴いたことないけど、かっこいいような気がするから習ってみよう。」とか。

「英語がしゃべれるとかっこいいので、海外に行く用事も仕事もないけど習ってみよう。」とか。

そういうレベルに「インプロ」が捉えられているということだ。これは当然ながら、今、インプロしている人たちの宣伝の仕方、情報の流し方に問題があるのだろう。(きっとわたしたちの方法も正しいとは言えないのだろう)。

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それにしても当然のことながら、モチベーションがなければ、そしてそれを「楽しい」と思わなければ、学習効果はない。

「インプロ」をやったことがないのに、トレーナーになりたいと言う人たちのモチベーションはいったいどんなものなのだろうか???

そんなことに思いを(ちょっとだけ)、はせる。。。。

わたしの勝手で狭い予測だけれど、これから「インプロ」に群がってくる人たちって、「食い扶持」を探しているんだろうなと思う。「食うための手段」としての「インプロ」だ。そう思わざる得ない。誰かも言ってたっけ、「ユリさん、インプロパフォーマンスなんてやってても食えませんから。でもインプロのワークショップや企業研修は金になりますよ。ボクはインプロで食っていきます」。

世の中、そんなに甘くないと思うけれど。。。

それにしても、「インプロ」のいいところも、深いところも、歴史も、プレーヤーやパフォーマンスについても全く知らないで、アイスブレイク的に使えるインプロのウォーミング・アップ・ゲームだけを取り出して、「インプロ」と呼んでいる人たちのなんと多いことよ。そしてそれをビジネスにしている人たちの多いことよ。そして増えていくことよ。。。

ビジネスにしてもいいし、増えていくのもいいんだけど。

できたら、「インプロ」の良いところも知ってほしいな。

せめてご自身が「イエス・アンド」できるようになってから、
ちゃんとデモンストレーションぐらいできるスキルを持ってから、
当然のことながら、観客の前でインプロする体験をしてから、インプロを語ってほしいなぁ~。

せめて、こういう最低条件をクリアしてから、「インプロ」を「飯のたね」にしてほしいものだ。

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ある功名な経営コンサルタントの先生がおっしゃっていた。

「ボクは、自分の年収が数億にならないうちは、本なんか書いちゃいけないと思います」と。

これはインプロを食い扶ちにしているひとりである私にとって、耳の痛い話である。。。

May 08, 2006

ドイツ行き日本チームお披露目。

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6月のシアタースポーツ世界大会へ、(僭越ではございますが)、日本チームとして出場するメンバーです。

「どうして、あんたらなの?」と言われたら、「だって声がかかったから~」としか言いようがなく(苦笑)。

他にだって出場したい日本人プレーヤーが、私たちよりすばらしい日本人プレーヤーが、おられるかもしれないのですが、「お声がかかったので。」ということで出演してきたいと思いま~す。

「本職」以外で売れっ子のわたし。。。

「表現」という高校の授業の指導要綱を作った流れで、学習指導案について学ぶ。
参考書は『教育の方法と技術』(玉川大学出版)。
具体的に指導案を設計するところまで学び、レポートにした。実際に授業づくりに関わっているので、自分の意見を入れられるのでレポートがすいすい進んでびっくり。やはり経験はものを言う!

わたしが創った指導要綱で関わっている高校の授業をやってみたところ、まだまだふさわしくないところがある(ちょっと高度すぎた)。なので変更しなくてはならない。ここ数ヶ月、この仕事をチョコチョコ続けている。チョコチョコだけど、3学年の1年分なので、かなりこってりした仕事なのだ。まるで教員になったような気持ち。。

ニュージーランドのテレビ局から電話あり。
『ショートランド・ストリート』という長者番組があって、そのキャスティングディレクターから。
「おおお~ついに、わたしも長者番組に出演!?」かと思ったけれど、彼女の依頼は、「番組に出演する医者役ができる日本人男性を探しているんだけど、ユリ、知らない?」というものだった。。。(T0T)。

最近、わたしの講師っぷりがなかなか評判らしく、「ユリさんを講師で売り出すよ~!」と言ってくれる人たちがとても多い。いろいろな方々が、口コミで広めてくださっているらしい。その「いろいろな人たち」は、世間から「この人の言うことなら!」という信用を得ている人たちばかり。なので自然にわたしの株も上がる。ありがたいことだ。ホントウにありがたいことだ。

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こんな風に、わたしには「本職」以外の仕事の依頼が多い。

「本職」以外の仕事で引っ張りだこ(!)と言っても過言ではない。

はっきり言って「本職」以外で食っている。

しかし、どんな仕事であれ、引っ張りだこなのは嬉しい。

しかし、本職になかなか集中できる時間がなくなってきたのは嬉しくない。

そんな間にも、「本職」以外の依頼がやってくる。

しかも、断れない。

しかも、その仕事はめちゃ面白かったりする。

「本職」以外の仕事のプロになっていく私。

「本職」以外の仕事がどんどん上手くなっていく。。。

「本職」以外の仕事がどんどん楽しくなっていく。。。

「本職」を辞める気はないけれど、このままではいけないような気もする。

人間、いつまでたっても迷い道だ。40歳すぎても迷い道だ。

う~ん。わたしったら、なかなか迷っているなぁ~。。。。(苦笑)


May 06, 2006

ネコ、キーボードに嫉妬す。

お休みを利用して、久しぶりにたくさん勉強。

まずは宗教哲学。鎌倉仏教の特徴について。

膨大な資料に踏み潰されそうになりながら、なんとかレポートを書き終わる。

あとは、キリスト教と仏教の違いについて。
さらに資料は山積み。なんたってものすごい歴史のある宗教なので、理解するだけでも時間がかかる。

一日中わたしがコンピューターにかかりっきりになっているので、ネコのマツがキーボードに嫉妬している。

気を許すと、キーボードの上にどっかりと寝そべってくる。

ミスタイプで、@l;d@あkらlfがrがldsmgふぁg、あb などとなる。

なかなか味わい深い。。。

May 04, 2006

野良ヒツジ。

ゴールデン・ウィーク。
みなさま、いかがお過ごしですか~?

どこに行っても、人が多くて疲れちゃう!

という皆さま、ニュージーランドはいいですよぉ~!

人がいないよぉ~!(苦笑)

ヒツジばっかりだよぉ~!(苦笑)

********************

さて。

テレビを見ていたら、「野良ヒツジ」のニュースが流れてきた。

野生のヒツジが捕獲されたのだ。

このヒツジは、普通の家畜のヒツジとぜ~んぜん違う。

まず動きが俊敏。足が速い!普通のヒツジの10倍の速度でダッシュ!

そして凶暴。犬に噛み付こうとして向かっていく!犬逃げる!

そしてフリーダムを求める。
柵を飛び越えて逃げようとする。足が引っかかって倒れても、「め~」と泣き言を言わない。
何度も何度も飛び越えようとする。

そしてワイルド。人間にも頭から突っ込んでくる!まるで闘牛のように!

当然、普通のヒツジたちの群れにはなじめない。ケンカをふっかける。他のヒツジは「め~」と鳴く。

ついに人間たちがした決断は、野良ヒツジを、ウシの群れに離すことだった。。。。(危険だ、、、)。

自分の5倍ぐらいの大きさのウシたちの中に、ちびっこい野良ヒツジ。(さらに小さく見える。。)

ウシに踏み潰されるかと思いきや、突然、野良ヒツジがウシの群れに頭から突っ込んだ。

闘牛に闘牛していく野良ヒツジ!

ウシ、たじろぐ。

突っ込む野良ヒツジ。

ウシ、ウシ、もっと、たじろぐ。。。。

ウシの群れは、野良ヒツジの攻撃で、バラバラになった。

そして、野良ヒツジは、ゆっくりと歩きだした。どこへ行くのか。一人で行くのか。。。

すると、なんと、その後を、ウシたちがゾロゾロと後をついて行くではないか。

そう。

野良ヒツジは、ウシたちのリーダーになったのだ!

****************

これ、ニュージーランドであったホントウの話です。

ね、ニュージーランドに来たくなったでしょ?

(苦笑)


妊娠作戦後日談。

婦人科の担当ドクターに会う。

今回のことについて、これからのことについて。

「具体的な理由があったわけじゃなくて、ただアンラッキーだったですよ」とドクターは言う。

なんといっても20%だ。どうしようもない。しかも卵巣はひとつしかないので、充分な数の卵がとれないし。
「もう諦めたほうがいいと思う」といわれた。

どんなにあがいても、20%は20%で、それ以上にはならないらしい。

これは年齢のことだから。

*******************

知らなかったけど、女性がつくる卵の数は決まっているので、年をとれば取るほど、卵が少なくなるので、当然妊娠の確立は低くなるのだ。

いつか子どもが欲しいと思っているお嬢さん、先延ばしにしすぎると、困ったことになるのでご注意よん!

*********************

さて、どうしよう?

どうしたって、これからの数ヶ月は、日本とニュージーランド(+ドイツ)を行ったり来たりするスケジュールなので、ゆっくり時間を取ることができない。しかも治療の費用は馬鹿にならない。しかも、確立は日に日に低くなっていく。。。

さて、どうしょう?

わたしの意見:二度目にトライして失敗したら、三度目もトライしたくなるのではないか?
これは依存症ではないか?妊娠できない女性の中で、このサイクルに陥っている人たちはあんがい多いらしい。
自分がそうなったらどうしよう?

ワタシの意見:でも二度目で成功するかもしれないじゃない!

さて、どうしよう?

いやぁ~、人生いろいろ悩みはあるけれど、この悩みはなかなかのもんです。

というか、もしかしたら、贅沢な悩みかもね。

ホントウだったら不可能なことなんだもん。
それを無理やり医学の進歩に他力本願、トライしようとしているんだもの。
もしかしたら傲慢なのかもしれない。

さて、どうしよう?

・・・(う~ん)・・・

とにかく悔いのないようにしたいっす。

な~む~(瞑想)。。。


May 02, 2006

日本のわたしと、インドの夫と、オリの猫。

ニュージーランドに到着。

ヒツジの国だぁ~。

こちらは秋で、木々がほんのり紅葉している。

夫と空港で待ち合わせ。(夫は、わたしと同じ日にインドから帰ってくるのです)。(ドキュメンタリーの仕事)

わたしのほうが数時間遅く到着する予定だったのに、経由するはずのクライストチャーチ空港に「爆弾を隠すぞ」という脅迫電話があったらしく、クライストチャーチを通らずに直接オークランド空港に到着した。

もしや電話したのは、わたしの夫???

数時間待って、久々に夫と再会。日焼けしているかと思ったらそうでもなかったし、痩せちゃったかなと思ったけど、そうでも無かった。インドに行くと、たいがいの人がお腹を壊してピーピー大変らしいけど、夫はそうでもなかったらしい。(少しは痩せて帰ってきて欲しかったけど、、、(苦笑))。

******************

久々に、ニュージーランドの情報を仕入れる。

ただいまニュージーランドでは、「ブラック・シープ」というホラー映画を創っている。
(わたしの義理の妹が撮影に関わっている)
シープが凶暴になって、人肉をむさぼり食うのだ。あんなおとなしそうなヒツジが!
むしゃむしゃと人肉を~!ああ、恐ろしいぃ~!

韓国が興味をもっていて、出資してくれたそうだ。

ホラーなひつじは、ヒットするかな???

*****************

猫たちを引き取りに行く。

大きなオリの中には、三々五々、猫たちがくつろいでいる。

その中でうちの猫は、わたしたちをなじるようにギャーギャー叫んでいた。

車の中でも、ず~っとギャーギャー泣き叫び、「はやく家に連れて行けぇ~!」という。

着いたとたんに急に静かになって、庭へとダッシュ。
他の猫のおしっこの匂いがないかどうか、念入りに調べていた。
なんて責任感があるんだろ~。猫に関心。

夫はよほどインドの旅がインパクトがあったらしく、ず~っとインドの話をしている。

夫婦的には、離れていたときに辛い事件があったんだけど、それをかき消すような再会だったので、かえって辛い事件のときにふたり離れていて良かったかもしれないと思った。

日本への仕事が山ほど残っているけれど、日本はゴールデンウィークだし。と思って、あまり仕事もしないで、メールチェックだけして、早々に寝た。

May 01, 2006

なんだか不当に扱われているような。。。

今まではそんなに気にならなかったのだけれど、最近、不当な態度をされると、すぐに激怒してしまう。

たとえば、駅で待ち合わせしていて、「すみません、3番出口で待っていてください」と言われる。
こちらはでかいスーツケースを引きずっている。3番出口までに徒歩10分。そして目の前には、バビロンの塔のように長い階段がそびえる。わたしは愕然とする。そして決心をしてあまりの重さに口をへの字に曲げながら、スーツケースを引っ張り上げる。そこに涼しい顔をした主催者が立っている。「いやぁ~すみません、ここのほうが車がつけやすいので、、、。」

たとえば、喫茶店で待ち合わせする。事前に、「じゃあ1階で」とお願いする。荷物が多いからだ。
当日、待ち合わせの10分前に、「2階で待っています」というメールが届く。「どうして2階にしたの、1階のほうがありがたかったのに。。」と言うと、「いやぁ~、2階のほうが好きだから。。」と言われる。

たとえば、久々に会った生徒さんに「ユリさん日焼けしましたね」と言われる。
わたしは日焼けしているの(ニュージーランドに住んでいるから)をとても気にしているので、「いや、そんなことないよ。」とすばやく言う。「早くこの話題、終わってほしい!」と一心に願って顔に出す。しかしその気持ちに反して、その生徒さんから「なに、ユリさん、そんなに否定して!いやいや、日焼けしている!ユリさん、絶対日焼けしている!」と何度も何度も言われる。

たとえば、あるワークショップ主催者側からこういうメールをもらったことがある。「ユリさん、交通費がもったいないので、タクシーは使わないでください。」

たとえば、ワークショップの前日になって、「ユリさん、忘れてました。明日のワークショップの参加者なんですけど、予定の2倍になっています!」と言われる。

昔はこの逆があった。当日になってこう言われた。
「ユリさん、忘れてました。今日のワークショップの参加者なんですけど、2人です。」(予定12人)。。。(苦笑)

********************

どうしたのだろうか?

わたしが怒りっぽくなったのだろうか?

なぜか不当な扱いを受けているように思われてならないのだが、これはわたしの間違いだろうか?

それとも、わたしは自分の知らない間に「高飛車」な人間になってしまい、相手からされるささいなことに腹を立てているのだろうか???

たまに感じる。「もう少し、わたしを大事に扱ってくれてもいいんじゃないの?」って。

とくに旅をしているときは、自分の荷物だけではなく、販売用の本やTシャツや、ワークショップで使うものも持ち歩いているので、どうしてもスーツケーツが重くなってしまう。移動だけでもシンドイ。それに加えて連日の仕事。
体調を崩しているときは、さらに具体的にきつい。(このときは、過労で無くなった如月小春さんを思い出した)。

「自分で自分を守らなくてはならぬ。」

それはある意味「ノー」と言うことでもある。

インプロでは「イエス・アンド」だが、「ノー」と言うことも、わたしは悪いとは思わない。
だって、そうしないと、自分が傷つき疲れてしまうから。
代理がきかない、わたししかできない仕事へのエネルギーをそがれてしまうから。
大事な本番に力を出せなくなってしまうから。

それがある意味「高飛車」と思われてしまうのなら、それは仕方ないかもしれないと思う。

その分、相手にはちゃんと感謝の気持ちを表していこう。
そうしたい気持ちを、ちゃんと目に見える形で表現していこう。

この両方のバランスがとれていれば、人間として、なんとか相手に失礼のないように生きていけるのではと思うのだが、、、。


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