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August 30, 2006

「すごい人」は違う意味で「すごい人」だった。

うひょ~、まだ頭痛が続いてます。

しつこいなぁ~(^^;)。

先週やったワークショップのことを書きたいんだけど、頭がガンガンするので、落ち着いたらまとめて書きます。

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こんなに頭がガンガンしていたのに、あるお世話になっている人から、「ユリちゃんに興味をもっているビジネス・コンサルタントの人がいるのよ。その人はアメリカの有名企業から何億ものお金を売り上げた人で、すごい人で。。。」というお誘いがあり、その「すごい人」に会ってみました。

いやぁ~、「すごい」といっても、わたしにとっては「違う意味」で「すごい」人でした。

何億というビジネスをしているこの男性は、インプロはもちろんのこと、演劇のこと、小さいビジネスのこと、企業研修やコーチングやコミュニケーション・ワークショップのこと、教育のこと、福祉のことなど、わたしが関わっている分野について、ぜ~んぜん知識をもっていないし、興味もないみたい。

まず、その時点で、「いったいわたしはここに何しに来たんだ?」という気持ち。
なので、紹介してくれた人に、「この会っていったい、どういう主旨だったんでしたっけ?」と直撃。

そして、いつもと変わらぬ絹川の態度を見て、その「すごい人」は、「いやぁ~新鮮だなぁ~。こういう人もまだいるんだなぁ~。ざっくばらんだなぁ~。普通の人は固いもんねぇ~」と言った。しかし、これは心から出た言葉ではないことがすぐに分かった。だって目が笑ってないもの。あきらかに「なに、この生意気なオンナ」。というコンテキストが丸見え。

インプロワークスのリーフレットを見て、「へぇ~、これって結局、お遊びしているみたいなものなの?」と私に聞いてきた。わたしがどんなに激怒したか、みなさんは想像がつきますか?

わたしは、「あなたのような人には、別にお話しすることはありません。」と言って、部屋を出て行きたかった。すぐに帰りたかった。でも紹介してくれた人は目の前でヒヤヒヤした顔をしていたので、ぐっとこらえたのです。

そして、わたしはこう言いました。「わたしはこれ以上、自分のビジネスを拡大する気持ちはありません。このままでいいと思っています。」(つまり、これ以上、お話しすることはありません。というコンテキストを伝えるためのセリフ)

しかし、彼から何倍もの「アドバイス」が帰ってきました。(以下はその中のいくつか)

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1)君、お客様の声をHPに出してる?出してないの?出してないなら、ビデオに撮らせてもらってHPに載せたほうがいいよ。こういうビジネスは口コミが大事だから。(→うちはほとんどがすでに口こみです!)

2)歩くエクササイズで有名になった、なんとかサライエという人のことをえんえん話、「彼は自分で働かないで、弟子にやらせてお金を吸い上げているんだ。だから、君もそういう風にするといいよ。」だと。

3)コーチングへの批判(誰かから又聞きした噂を鵜呑みにして、話を展開。まったく根拠なし)。そして、君はそういう人たちとは付き合わないほうがいいよ。

4)今、年間なんかいワークショップやっている?一人いくらとってる?(計算して)じゃあ、年収はこのくらいになるはず。で、いくらぐらいもらっているの?え、それしかもらっていないの?だめじゃないの。だったら自分で経営して、自分の利益にしたほうがいいよ。

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も~まるで、「いらないおせっかい」です。

むかついて、むかついて、「むかついてます」と顔に書いておいたのですが、本人はまったく気がついていないようでした。だいたい、わたしの意見は聞いてない。一方的に話すだけ。「無神経」。

だいたい、初めて会う人(相手が自分よりあきらかに収入の少ない、ビジネスの無頓着なオンナでも)をこ馬鹿にするような態度をとるなんて、その時点で、「すごい人」失格です。

本当は、ここでご本人のお名前やサイトを暴露して、「この人には気をつけろ!」的なことをしてやりたい気持ちではありますが、そんなことしてもなんの幸せもやってこないので、辞めておきます。

また、こういう人に、「お願いします!」って頭さげて、すがりついて指導を仰ぐ人たちもいるんだろうなぁ~。
馬鹿にされながらも。。。。。
以前、社会貢献のアイデアについてプレゼンしたときがあって、そのときのパテーティでもこういう人がたくさんいました。「僕はたくさんコネクションをもっているから、紹介してあげるよ。名刺をちょうだい。」「僕が会員になっている会があって、そこにはたくさんのお金持ちがいるから、今度来てみれば。紹介してあげるよ。」とか。

そして、そういう人たちにぺこぺこして、「お願いします!」とすがりつくようにくっつき、コネクションをつくろうとしている人たちをたくさん見てきた。

わたしはそうやって、虎の威を借る狐のような人は、どうしても信用できない。
だから、そういう人にぺこぺこしてまで仕事やコネクションが欲しいとは思えない。
そんなことまでして、お金持ちになりたいなんて、これっぽっちも思わない!

(だから、このような自転車操業なのだけれど、、、(^^;))

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それでもね、わたしは帰るときに、「お時間ありがとうございました。」って頭さげたのよ!

我ながら偉いと思いましたわ。

そして、紹介してくださった方にメールをしました。

「貴重な体験をさせてくださって、ありがとうございました。でも、もう二度と、こういうことにわたしを紹介しないでください。二度と、こういう類の人たちには会いたくありません」と。。。

******

「だからダメなんだ。」と世界中の人が思ったとしても、「わたしはそうは思わない。」と堂々と言える。

そんな体験でした。

(頭痛で、頭がガンガンだったのにぃ~。もっと具合が悪くなったですわぁ~。。。)

苦笑。


August 29, 2006

人生で始めてのひどい頭痛を体験してます。

先週末は岡山、津山、名古屋、岐阜へワークショップ&講演会をしてきました。

最後の親睦会のときにじょじょに、そして帰りの新幹線の中で強烈に具合が悪くなり、ヘロヘロで帰宅。

めずらしいことに、頭だけがガンガンに痛いのです。

頭の中で、ノートルダムのせむし男が、教会の鐘を鳴らしています。
キングコングに頭を挟まれて押しつぶされているみたい。前頭葉と、頭の両側がつぶれそう!

ここ何年も風邪ひとつひかなかったもので、ましてや頭痛の経験はほとんどない絹川ですので、「もしかしたら、このまま脳卒中とかで死んじゃうかも。。。。」と一時は深刻になったものでした。

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心配になったので、不謹慎かもしれませんが、亡くなられた如月小春さんのお弟子さんの柏木くんに聞いてみました。

「如月さんが亡くなられたとき、”頭が痛い”って言ってなかった?」
つまり、わたしも如月さんと同じようになるんじゃないかと思ったわけです。
すると柏木くん、涼しい顔で、「いや、ぜ~んぜんそんなことありませんでしたよ。痛いなんて、一言もなかったんです」。と。

「え~、わたしも如月さんみたいにぽっくり死んで、伝説になれるかなと思ったのに~」と絹川。

「いやいや、ユリさん、死なないで、もっと仕事しましょうよぉ~」と柏木くん。

*************

如月さんは、なんの前兆もなく、「いきなり」天国に召されてしまったそうです。
ご本人もさぞかし驚かれたことでしょう。
(如月さんが亡くなられたのは、ご家族にとってはもちろんのこと、ドラマ教育・演劇界にとっても非常に残念なことでした。本当に。合掌)。。。

*************

さて。
如月さんのように「伝説」には至らない絹川(苦笑)、その後も頭痛は続いておりまして、セデスを飲み続けている次第です。

いやぁ~、それにしても、いつまでも痛いぞ、わたしの頭。。。


August 26, 2006

インプロ乱用による害について

「インプロ」に害はない。

ウォーミングアップ・ゲームをやるだけで、すっきりする。ストレス解消になる。
だからそういう意味で、インプロ・ゲームのウォーミングアップ・ゲームだけを使っている人たちがいる。

その中から、「インプロ」のいいところを見つけることができた人たちは、さらに先のレベルに進む。
「イエス・アンド」である。

持論としては、「インプロ」で「イエス・アンド」を教えないワークショップは「もぐり」だと思う。
それから、ちゃんと「イエス・アンド」を教えられない、ましてや自分が「イエス・アンド」ができない講師は「もぐり」だと思う。

そして、いよいよ「インプロ」の一番大事な領域に進む。それは「ストーリー」である。
実はインプロにおいて、「ストーリー」は非常に大事なものである。どうしてか?この問いに答えられない講師は、「インプロ」のゲームは知っているけれど、「インプロ」を知っているとはいえないだろう。

そして、もっと大事で、もっと面白い領域が「シーンづくり」だと分かってくる。
そしてそれを総合したパフォーマンスのすごさ、深さ、面白さがそれに続く。

この過程の中で、自分に気付き、相手に気付き、集団創作のすばらしさや難しさを知る。
そして自分が細胞単位で変わっていく。これが「インプロ」の良さである。

さて、わたしは最近、「インプロの害」について気がついたことがあった。

もしかしたら、「インプロ」って害があるかもしれない。

それは、「人をうぬぼれさせる効果」。

「本当の自分を見ないで、自分を過信する状態」。これを創りだすのものかもしれないと。

どういうことかというと、「インプロ・ゲーム」は非常によくできているゲームなので、どんな「もぐり」講師がやっても場を盛り上げることができてしまう。そして、いたずらにワークショップ参加者をあおり、宴会状態をつくることが割とできてしまう。「イエ~イ、インプロってサイコ~!」「人間ってサイコ~!」「みんな大好き、世界はみんな友だちだぜ~!」っていう「サークルののり」。これは割合と簡単にできてしまう。だから、講師がもしウォーミングアップ・ゲームしか指導できない場合、参加者はそれ以上を学ぶことはできない。「インプロ」=「レクリエーション」という扱いで、参加者のこころに残る。

この場合、本来ならば、「インプロ」によって気付くことのできる数パーセントも感じ取れない。

先日、学芸大学で開かれた公開講座「イエスアンドで授業を変えよう!」という中で、学芸大学の教育学の助教授山田先生がこうおっしゃった。「授業が盛り上がって生徒に押さえがきかなくなってしまったとき、それを収めることができない先生は、生徒をあおったり、授業を盛り上げたりするべきではない」と。

つまり、生徒をちゃんと制御して、本来の目的である「学び」へと導くための指導ができない教師は、いたずらに生徒を興奮状態にしてはいけない。そうでないと、生徒たちが、本当に大事な「学び」を得ることができないから。

なのである。

これは「インプロ」の指導にも言えるのではないか。

「インプロ」は社会を移す鏡のようなもの。だから本当なら、「矛盾」や、「悲しさ」や、「謙虚さ」があって、それをも受け入れていく「勇気」や「度量の大きさ」を人間はもつべきだと「気付いて」いくもの。でも、ここをきちんと講師が説明できないと、本当に「イエ~イ、インプロってサイコ~!」ってことだけになってしまう。

これははっきり言って、サークル活動か新興宗教だ。
だから、「インプロ」は今、サークル活動や新興宗教活動のような使われ方もしていると言える。

*******************

余談だけれど、演劇ワークショップ研究会は、ネコも杓子もワークショップという、現代の状況について、「ワークショップがカルト化しないように」という警告を発している。

それは、ちゃんとした狙いや考えなしに、演劇人が「ワークショップ」を開いてしまい、「ワークショップ」だらけになっていること。そしてその中には「ひどい質」の、ワークショップとはいえないようなものもたくさんあって、それが結果的に「参加者を傷つける」ことになっているからです。

つまり、演劇ワークショップと言われるもののなかには、「カルト化」「新興宗教化」しているものがあるということ。

そして、わたしはこの問題は演劇ワークショップだけじゃなくて、「インプロ」のワークショップでも起こっていることだと危惧している。

***************

さて。

当然、わたしは他人の活動を止める権利はない。けれど、「本当にこれでいいのだろうか?」という疑問と、「インプロの本来の良さが伝わっていってほしい」という願いと、「でも、もうこんな風に広がってしまって、もう取り返しがつかない。」という悲しい気持ちで、インプロがレイプされているのをただ見ている。

さて。

ピンチはチャンスである。

ものは考えよう。

そうだ、考えよう!

たとえば、ピアノの先生を例にしてみる。

ピアノの先生といってもピンからきりまである。
バイエルだけしか教えられない先生もいれば、高度なことを教えられる先生もいる。
自宅で子どもだけを教えている先生もいれば、音楽大学で教えている先生もいる。
ピアニストになる才能がなくて、つぶしがきかないので講師になる人もいれば、ピアノのすばらしさを伝えたい理由で講師になる人もいる。

受ける側も、「友だちがやっているから、なんとなく」習っている人もいれば、「本気」の人もいる。どんなに「本気」があっても、プロになれるのはほんの一握りで、それ以外の人たちは「趣味」として続ける。先生を選ぶのは生徒さんたちだ。

そして、どんなにひどい先生がいたとしても、「音楽」や「ピアノ」自体が傷つけられることはない。

「音楽」は死なない。

「芸術」は死なない。

。。。

そう考えてみれば、「イエス・アンド」が体現できないインプロ・ワークショップの講師がいても、インプロのウォーミングアップゲームだけをやる同好会があっても、インプロを使った活動が社会活動や社会貢献にならないで「サークル活動」になったとしても、それを受けることができるかもしれない。

。。。。

まぁ、わたしの本音を言わしていただければ、「だったらむしろ、死んで欲しい。。」

な~んて、排他的でやけっぱちな気持ちにもなりそうになるけどね~。(苦笑)。

August 22, 2006

イエスアンドで授業を変えよう!

今日は東京学芸大学の公開講座「授業成立の身体技法ーイエスアンドで授業を変えよう」です。

助教授の山田雅彦さんとのコラボレーションの講座です。

ありがたいことに、定員を大幅に越えて、超満員御礼状態(30人ぐらい!)です。

今までも、大学教授とコラボレーションでワークショップや企業研修を行ったことがありますが、それは割りあいと同じ考え方に基づいたものでした。大学の先生の考え方と、わたしが考えるインプロの大事な部分が結びついているという。

しかし今回の山田先生は、なかなかユニークな存在でして、お話を伺っていると「それは違うんじゃないか」という異論と、「本当にそうだよね~」という賛同が表裏一体に現われてくる。わたしが考えるインプロの大事な部分とは違う部分でコミットメントしてくる。そういう意外さ。

今回は、その辺りを楽しみつつ、山田先生からインスパイアーされるものを提供していきたいと思っています。

講座は10:00-17:00まで。

それでは行ってきま~す!


August 21, 2006

「シアタースポーツ世界大会」の上映会しようかなぁ。。。

ドイツから、「シアタースポーツ世界大会」のテレビ中継のCDを送ってもらいました。

なかなか見る時間がなかったのですが、ようやく見てみると、「いやぁ~!面白いっ!」

それにこれはテレビ中継なので、プロデューサーたちのインタビューや、決勝戦に残らなかったチームの映像もあります。(日本チームもちょっとだけ、でも爆笑シーンが映っています)。画質的にも、とてもクオリティの高いものでした。

実は今度、関係者だけで小さな上映会を行うのですが、それだけじゃなくて一般の方々にもお披露目したくなりました!

どうしようかなぁ~?

一般の方々向きの上映会を行おうかなぁ~?

と、ちらっと思っています。

どうしようかなぁ~。。。

ドイツ公演の写真掲載されています。

先日もブログで紹介しましたが、もう一度紹介します。

以下のHPに、先日出演したドイツでの「シアタースポーツ世界大会」の公演写真がたくさん掲載されています。

他にも出演したチームはいるけれど、一日に、5つの場所で公演が同時におこなわていたため、すべての公演の写真を撮ることはできませんでした。そして写真家が追いかけていたチームの一つが日本チームだったのです。
それで、ラッキーなことにたくさん写真をとっていただきました。

http://www.9pm-records.de/de/cosmos_2.htm#

HPの左側の「NEWS]欄のトップの、「Theatresports wm」をクリック。
フェスティバルの写真がポップアップで出てきます。

(レイアウトなどめっちゃカッコいいです!)


懐かしくて、涙がでそう。。。。


August 20, 2006

シーンとストーリーづくりの真髄。

「マンスリー・ワークショップ」でした。

1:00-9:00という長丁場の中、14人のみなさんにお集まりいただきました。

テーマは「シーン&ストーリーづくり」。

ストーリーについて、シーンづくりについて、大事なところ・一番理解しずらい部分を徹底的にやらせてもらいました。

通常のワークショップでは、なかなか突っ込めない部分に、徹底的に突っ込みをいれさせてもらいました。

わたしは、こういう「目に見えないけれど、瞬間に起こっていること」が大事だと思っています。

自分がパフォーマンスをしているときに起こっているなにか、インプロを海外で学んで得たなにか。

これを誰かに伝えたいなぁ~と思っています。
そのなかのいくつかを、今回、みなさんにお伝えできたかなという手ごたえがあって、わたしとしてもとても嬉しい時間となりました。

継続していくと、インプロの面白い部分・ステキな部分を、みんなと分かち合えるんだなぁ~。

とても嬉しい時間でした。

マンスリーワークショップは運営が大変だけど、そのしんどさがふっとぶ瞬間でした。

次回は9月23・24日です。た~っぷり時間をとれるので、た~っぷりやりたいと思っています。

なお、アナウンスでは、「シアタースポーツ」と「ロングフォーム」という内容になっていますが、今回の体験を踏まえて、内容を若干変更する予定です。

これは、HPのスケジュール、メルマガでの号外にてご連絡さしあげますので、HPをチェックしていただくか、メルマガに登録していただけると情報をゲットできます。


8月の「即興を遊ぼう会

久々に「即興を遊ぼう会」のリードしました。

即興ミュージシャンのスィンギーと一緒に、「インプロ・ソング」がテーマ。

18人も集まってくださって、スタジオが満杯に。なかなか人数に適した場所を借りることができず、みなさんには窮屈な思いをさせてしまったのではないかと思います。

ただ、その親密感があったからかもしれません、とてもアットホームな雰囲気の中で進めることができました。

通常、歌のワークショップとなると、「恥ずかしい」「できない」「無理」「どうやるのか分からない」という雰囲気がただよってしまう場合もあるのですが、この日は最初からみなさんノリノリで、非常に気持ちよく進めることができました。

実はこの日、ワークショップのメニューをあまり考えてきませんでした。

何日も前から、何時間も考えていたのですが、どうしてもイメージが浮かばなくて。頭がフリーズしちゃうんです。
それで思い切って、「よし、これは、きっと”考えるな”と言っているのかもしれない。その場の流れでやってみよう!」とスタジオに行く30分前に腹をくくりました。

そしてノーアイデアでスタジオへ。

その場を見て、リードしていきます。

みんなの動きや声をしっかり見ていると、「音楽になりそう」な瞬間が生まれてきていることを見つけました。

「ここだっ!」と思い、スィンギーに、「どう思う?これって音楽だよね」と言うと、「そうだね、この流れを止めないで歌ができるね」とスィンギー。そしてジョジョに音楽を入れていって、みんなの動きと声が自然に歌になっていきました。

そして第一曲目があっという間にできがったのです。(タイトル=「変態の歌」(苦笑)

このようにして、このワークショップは「今の瞬間から創りあげていくこと」そのものになったのでした。

そして、再び感じたことは、こうやって参加者のみなさんと向き合っていると、リーダーとしてもとても発見が多いということです。

最後に、「Smell Like a Song」というゲームを紹介しました。

登場人物の気持ちを大切に扱って、音楽で表現していくゲームです。

(それにしても、最近「ゲーム」という言葉を使うのにちょっと抵抗を感じる。これってルールはあるけど、日本で使われている「ゲーム」というニュアンスとちょっと違うもの。たとえば、「テレビゲーム」とか「コンピューターゲーム」とかそういうものの同じカテゴリーには入れたくないもの。。。ふゥ~ん。。。)


August 19, 2006

ついに、しあすぽ。

ついに「シアタースポーツ」上演しました!

一番、準備不足だったのはMCの絹川。みなさんにご迷惑をおかけしました!

しかしながら。

そんなことを吹っ飛ばすように、とてもいいパフォーマンスだったと思います。

「みんな、良くなったなぁ~」と関心してみてました。

(注:「みんな、”上手くなったなぁ~”じゃないところが味噌。つまり「インプロ」のテクニックを見せるのが目的じゃないから。)

まず、プレーヤーがこんなに気をわず、イキイキ舞台にいて、自由に表現できている「シアタースポーツ」は、日本において、まれなんじゃないでしょうか?(と自負します)。

また「シアタースポーツ」のフォーマットとしても、プレーヤー・ジャッジ・MC・ミュージシャン・照明すべてにおいて、正しく機能していたと思います。特にジャッジは、とてもいい具合に「ブーイング」できる存在として表現できたと思います。

もちろん、これからの改善点は山盛りですが、それでも、まず「やりたかったシアタースポーツ」が実現できたこと、(これは今年の2月にシアトルに行ったときに生まれた夢でした)とても嬉しく思います。

********

<競争する>ということについて

もちろん「シアタースポーツ」は、<競争>します。

点数は大事です。

<競い合う>という資本主義原理によって私たちの文明はここまで進んできました。

しかし私たちは、その時代の人じゃなくて、「今の時代の人」ですから、その時代の人たちがやってきたことをくりかえす必要はなくて、その時代を踏まえて、これからの時代を考えていくことが大事だと思います。

だから、<競争>によって生まれた良さを生かしていきつつ(これは私たちは充分理解しているつもりです)、それによる弊害を改善していくことが必要だと思います。

だって、<競争>によって起こった社会のひずみって、すごいものがありますもの。

だからって、<競争>反対!っていうんじゃなくて、<競争>さえも内包してしまう大きな物事の考え方が必要で、それは、これからの時代を担っていくわたしたちが持つべき考え方だと思っています。

話が大きくなりました。

「シアタースポーツ」というフォーマットから、わたしはいつも、こういった社会の問題点との接点を感じています。

世界のグローバル化とか、コミュニケーションの問題とか、競争についてとか。

だからこそ、今、シアタースポーツをやっていくこと、その中で、それらのことを考えていくことが大事なように思えます。

(おおお~、これは、キースにも伝えたいなぁ~)。。。

インプロワークス・プレゼンツの「シアタースポーツTM]は、2006年いっぱい毎月行います。

次回は9月16日(土)です。

詳細はスケジュールにてご確認くださいませ!

8月の「即興を遊ぼう会」

久々に「即興を遊ぼう会」のリードしました。

即興ミュージシャンのスィンギーと一緒に、「インプロ・ソング」がテーマ。

18人も集まってくださって、スタジオが満杯に。なかなか人数に適した場所を借りることができず、みなさんには窮屈な思いをさせてしまったのではないかと思います。

ただ、その親密感があったからかもしれません、とてもアットホームな雰囲気の中で進めることができました。

通常、歌のワークショップとなると、「恥ずかしい」「できない」「無理」「どうやるのか分からない」という雰囲気がただよってしまう場合もあるのですが、この日は最初からみなさんノリノリで、非常に気持ちよく進めることができました。

実はこの日、ワークショップのメニューをあまり考えてきませんでした。

何日も前から、何時間も考えていたのですが、どうしてもイメージが浮かばなくて。頭がフリーズしちゃうんです。
それで思い切って、「よし、これは、きっと”考えるな”と言っているのかもしれない。その場の流れでやってみよう!」とスタジオに行く30分前に腹をくくりました。

そしてノーアイデアでスタジオへ。

その場を見て、リードしていきます。

みんなの動きや声をしっかり見ていると、「音楽になりそう」な瞬間が生まれてきていることを見つけました。

「ここだっ!」と思い、スィンギーに、「どう思う?これって音楽だよね」と言うと、「そうだね、この流れを止めないで歌ができるね」とスィンギー。そしてジョジョに音楽を入れていって、みんなの動きと声が自然に歌になっていきました。

そして第一曲目があっという間にできがったのです。(タイトル=「変態の歌」(苦笑)

このようにして、このワークショップは「今の瞬間から創りあげていくこと」そのものになったのでした。

そして、再び感じたことは、こうやって参加者のみなさんと向き合っていると、リーダーとしてもとても発見が多いということです。

最後に、「Smell Like a Song」というゲームを紹介しました。

登場人物の気持ちを大切に扱って、音楽で表現していくゲームです。

(それにしても、最近「ゲーム」という言葉を使うのにちょっと抵抗を感じる。これってルールはあるけど、日本で使われている「ゲーム」というニュアンスとちょっと違うもの。たとえば、「テレビゲーム」とか「コンピューターゲーム」とかそういうものの同じカテゴリーには入れたくないもの。。。ふゥ~ん。。。)

みなさんに紹介したのには2つ理由があります。

まず、これからパフォーマンスでも使っていきたいから。

それから、こういう、「表現」というものは、万人が体験するものだと思っています。
「自分を表現する体験」は、すべての人に必要な体験だと思っています。
だから、こういう表現方法を使って、一般の人、演劇に縁の無い人も、自分を自由に表現する機会があればいいなと思います。

そして、
「わたしはみなさんと、そのような活動をしたいと思っています。」と言いたかったのでした。

(この「表現すること」と「舞台でお客さんに見せること」は違いますので誤読なきよう)。

そういうメッセージをみなさんにお伝えしたワークショップでした。

参加してくださったみなさん、ありがとうございました!

今度やるときは、もう少し時間を長くしてやりましょうね!

August 18, 2006

すでに自分が持っている。

コーチのためのワークショップでした。

10日前からの募集ということで、「人が集まるんだろうか?」と心配していましたが、延べ31人にお集まりいただき、とてもいい会になりました。

1部(午後)のテーマは「イエス・アンド」。
この感覚を極めるために、しつこく・しつこく・しつこ~く、「イエス・アンド」。
そして大事なのは、「イエス・アンドしよう」と頭で考えながら「イエス・アンド」するのではなく、身体から「イエス」していくこと。つまり、相手が言っていること、やっていること、目の前で起こっていることに100%コミットすることが大事。「イエス」のときは、100%、今の瞬間に「イエス」なのです。

起こりがちなのは、「イエス」=「そうだよね~!」と言っているときに、「アンド」の部分を考えてしまうこと。
これはよくありがちです。インプロのパフォーマンスを10年もやっている人でも、そういう人はいます。

こういうプレーヤーのパフォーマンスは、見ていて「苦しそう」な感じがします。
「即興でやっている」ということを、「わざと」表現しているようにも見えます。
でも、実際、こういうプレーヤーの中でなにが起こっているかというと、シンプルに「どうしよう」と頭で考えている(頭の中にいる)状態なわけです。

そう、「イエス」のときは100%「イエス」を味わう。相手のアイデアを全身でイメージする。
これが大事。そうすれば、自然に「アンド」に当たる部分が浮かんできます。

第二部(夜)のテーマはキャラクター。

人間すべての人は、あらゆるキャラクターを内に秘めています。
ただ、日常の場面では、その人たちはなかなか登場することはできません。だいたい人間は人に好かれようとして「優等生」になったり、「いい人」になったり、「物分りのいい人」になったりします。でも本当はその逆の部分を持っているのです。「馬鹿な部分」や「いじわるな部分」や、「頑固で、わがままな部分」。演劇のいい部分は、そうい通常ネガティブといわれているいやな自分の部分を出してあげることができることです。
そうすることによって、その人はトータルな人間さを取り戻せます。

さて、このワークショップの参加者のおひとりが、ワークの最初に「このワークで得たいものはなにか?」という私の問いに、こう答えられました。「誰かになりきるということができないので、徹底的になりきってみたい。」。

この、「なりきる」と言う言葉について、わたしなりに感じていることがあります。
「なりきる」がもっている「なにかになる」というイメージは、わたしの考えている演技の概念は違うということです。

「~になりきりなさい」と言われるとき、わたしは(私だけかもしれませんが)「自分じゃない誰かの真似を、相手にばれないように徹底的にやりなさい。」というニュアンスがある。

しかし演技というのは、他の誰かになるのじゃありません。自分がすでにもっているありとあらゆるものの中から、そのキャラクターを表現するために必要な部分を解き放ち表現することです。つまり、「すべてはすでに、自分が持っている。」のです。

「なりきる」と言う言葉は、誰かの着物を着るというニュアンスがある。今は似合わない着物だから、とにかく似合うように着こなしなさいという「外見」の意識と、「とにかく無我夢中で訳分からなくていいからそのことに没頭すればどうにかなる」的なあいまいさがあるように感じてしまう。。。

わたしは演技というものは、そういう形而上的なものじゃなくて、科学的なものだと考えています。
逆に言うと、そうじゃないと、演技というものがひどく、「なんとなくやるもの」「よく分からないもの」になってしまうからです。そしてこの考え方は、たくさんの演技レッスン・ワークショップおたくを育ててしまいます。。。

こういうケースもあります。演技が上手くできない役者、演技を理解できない役者に対して、演出家が、「も~、君~、演技下手だねぇ~。もう難しく考えなくてもいいから、とにかくお客さんにばれない程度に、そのキャラクターの”ふり”をすればいいからっ!」とアドバイスする、「なりきりなさい」という言葉にはそんなイメージもある。

(そう考えると、もしかしたら素人の人たちに「演技」というものを説明するには、「なりきりなさい」という言葉は手っ取り早いのかもしれない。→でもそれは演技に対する冒瀆では?とも思う。でももしかしたら、そんなこと言ってられない必要にせまられている事情があるのかもしれない。。。)

これはわたしの偏見なのだろうか?

さて、ワークショップでは、自分の中にあるキャラクターを身体から解放してあげるというテーマでやりました。

3時間のワークショップでは、とうてい遣りきることはできないテーマでしたが、それぞれの人たちが「自分の新しい面を見つけました」というフィードバックをされていたので、価値はあったと思う。

またキャラクターワークは俳優さんのトレーニングにはもちろんだけれど、日常で「いろいろな自分」を押し殺さなくてはならない社会人にとっても、とても必要なことではないかなと思った。
日本は「自分を殺して集団に沿う」意識を強くもっている人が多いので。

家に帰ったら、ドイツのシアタースポーツ世界大会関係者からメールが。
「このHPに、ドイツでやった公演写真がたくさん掲載されています。」とのこと。

見てみたら、あらあら、日本チームの写真がたくさん掲載されている。
他にもチームはあったのだけれど、一日に、5つの場所で公演が同時におこなわていたため、すべての公演の写真を撮ることはできなかった。そして写真家が追いかけていたチームの一つが日本チームだったので、ラッキーなことにたくさん写真をとっていただくこととなった。

以下のHPの、左側に「NEWS]という欄があって、そのトップに「Theatresports wm」というトピックがあるので、それをクリックしてみてください。フェスティバルの写真がポップアップで出てきます。
(レイアウトなどめっちゃカッコいいです!)

http://www.9pm-records.de/de/cosmos_2.htm#

なつかしい親友たちの舞台写真をみてエネルギーをもらい、「わたしもわたしの場所でがんばるよ~!」と誓ったのでした。。。

August 17, 2006

「喝」と書いて、「とんかつ」を思い出してしまう私。

ダイエット・レポート。

マイナス3.5Kg以降、いよいよやってきました、停滞期!

どんなにカロリーを減らしても、どんなにエアロビックスしても、どんなにサウナに入っても、いっこうに体重計の針は左に動いてくれない!(右に動くよりましだけどさっ!)

たいがい、ここで挫折するのがお決まりのダイエット失敗パターンだ。

ここでがまんできずに、ちょっとやけ食いしてしまうこと。

これだけは避けたい。

今まで何度もやってきたことだから、もう同じパターンをやることはないだろう、自分よ。

しかし、今週末は大事なワークショップが目白押しだ。

そのための体力をつけておかなくては。

焼肉。

松やのブタ丼。

サンオリジンの黒酢の肉団子。

ホープ軒のあぶらタップリのラーメン。

いろいろなご馳走が、目の前を通りすぎる。

まるで、回転すしのように。。。。

手をだそうか。

それとも、もうちょっと待ってみようか。

すべては自分が決めることである。。。。

ああ、だれか「喝」を入れてちょうだいっつ!

August 15, 2006

「勉強」の使用前、使用後。

スクーリング終了。

2週間の授業で、4つの試験を受け、おそらく8単位修得です。

ほぉ~。

それにしても。
勉強はいいものです。(しみじみ。。)
だって、ちゃんとすれば絶対裏切らないもの(苦笑)。

昔はテストが大嫌いでした。

人に判断されたくない!
たった一回のテストなんかでわたしの勉強度を測るなんて!
しかも比べるなんて許せない!
ましてやテストで人間性は決められない!

そう思うわけです。

しかし、勉強とは植物と似ていて、ちゃんと手をかけてあげれば、ちゃんと返事をしてくれるものだということが最近わかってきました。つまり、本当の意味で勉強していれば、テストの結果もちゃんと答えてくれるということ。
「試験範囲」は裏切るかもしれないけど、「勉強したこと」は決してわたしを裏切らない。ちゃんとわたしの身になってくれる。(そしていつか、わたしを助けてくれる)。

(解説:これは暗に、「わたしはちゃんと勉強したから、テストは楽勝だった!」と言いたいわけです。嫌なヤツですね。。)(苦笑)

***************

本当の勉強とは、知識を頭に詰め込むのではなくて、ちゃんと自分の頭で考えて答えを導きだすことです。そして勉強した前と後とでは、自分のなにかが変わっていること。これを「勉強」といいます。応用がきくことが利点です。

今の世の中、(とくに日本は)、すべて手取り足取り教えてくれます。
車ではナビが「次の角を曲がります」と教えてくれるし、駅では「もうすぐ急行が停車します」と教えてくれて、「線の後ろ側にお並びください」と注意してくれる。信号は「渡っていいよ。」とか「渡っちゃだけ」とかアドバイスしてくれるし、コンビニには「ただいま大好評!○○新発売!」と新商品を教えてくれる。お金だって、考えなくても入金振込みできる。インターネットなら地球の裏がわのことだって知ることができるし、テレビでは、知る必要のないこと、知りたくもないことまで教えてくれる。

情報社会は便利だ。頭を使うことがない。それに従っていれば、まず安全に日々暮らすことができる。

自分の頭で考えなくても。。。。

でも、動物的勘がわたしに告げます。

「これってやっぱり、だめだと思う」。「なんだか危険じゃないか?」って。

学生のときはまったく勉強しないで、むしろ世の中がどうなっているのか、その一員になりたくて仕方がありませんでした。(私の場合、早く、舞台俳優としてどうにかなりたかったのです)。

しかし今、わたしに必要なのは、世の中がどうなっているのか、どうなっていって欲しいのか、そのために「自分」はどうしたらいいのか、何ができるのか、(何ができないのか)を「知る」ために、自分の頭を使って考えていきたいし、そのための勉強(やる前と後では、人間的変化が起こる)をしていくことです。

***************

それにしても、40歳になって大学に戻るなんて、一体誰が予想したでしょう!

「ファック大学!」だった20代の頃のわたしが見たら、さぞかし驚くことでしょう。

そして「勉強は裏切らない」って思えるなんて。「テスト」が楽しかったといえるなんて。

ね、これも「勉強」の使用前、使用後なんです。


August 14, 2006

「恋愛小説」に恋ス。

今更ながら、江國香織さんの小説にはまっている。

ここ数日で、数冊を読破した。

不覚である。

普段、わたしは小説はほどんど読まない。
とくにスィートな恋愛小説は、時間の無駄と考えることが多い。

小説で読むのは、「自分がすこしでもましな人間になるためのヒントが隠されているであろうと思われるもの」だけ。たとえば、よしもとばななさんや村上春樹さんのスピリットな作品や、大江健三郎さんや川端康成さんの作品。しかし、それ以外はあまり。(ただ話題になっているものはできるだけ目を通すようにする。でも他専門書への時間のかけ方に比べると、ネコの額)。

それなのに、思いっきりスィートな江國香織さんの小説にはまってしまった。

不覚だ。

「恋愛小説にはまる」って、「恋に落ちる」感覚と似ている。

「いつもそのことばかり考える」ようになる。
それは、カラオケでドリカムの「LOVE LOVE LOVE」をしみじみ歌ってしまうことと似ていて、気持ちは一点豪華主義なのだ。もうそれだけあれば、何もいらないっていうか。

こういう状態になった場合、暇なときはいいけれど、明日大きなプレゼンテーションが控えている場合などは危険である。

いったいどうやって自制心を保てるか。これはいわゆる自分への挑戦である。

今まで、こういうことがめんどくさかったので恋愛小説は読まなかったのになぁ~。

しかしひょんなきっかけで読むことになったら、人間の機微がとてもよく描かれていて、すっぽり感心してしまったのである。

「つめたいよるに」という短編集のトップに、「デューク」という作品があります。

動物好きな人が読んだら、「泣いちゃう」と思います。


August 13, 2006

「これからの教師にとって、どのような資質が必要か」

「これからの教師にとって、どのような資質が必要か」というシンポジュームを聞いた。

パネリストは現役の校長先生や教育に関わっている先生方だった。そして、5人中3人が開口一番、「今の若者はコミュニケーション能力が欠けている」と発言した。

そして、「あいさつができていない」とか、「自分を表現できていない」とか、「モチベーションが低い」とか、ちまたに転がっているような発言がゴロゴロでてきた。

「どのような資質が必要か」というタイトルは、「現在、教師には足りないところがある」ということを暗黙のうちにあらわしている。

だからかもしれないが、「○○ができていない」「○○が悪い」という、現代の若者(これから教師になりたい人たち)を否定する発言ばかりだった。

世の中には、「今どきの若いものは。。。」と自分を棚にあげて、新しいものすべてを一刀両断に否定する年寄りがいる。こういう年寄りは聞く耳をもたず、理屈をこねくりましわして、ねちねちと若者をいじめるのだ。自分の先入観を価値観と勘違いしている。

パネリストの先生方の発言を聞いていたら、パネリストの先生がたが新米の若い先生たちを校長室でいじめている風景が浮かんできた。

きっとそうじゃないことを祈る。。。

最後に質疑応答があって、学生から、「コミュニケーション能力が欠けているとおっしゃいましたが、いったいコミュニケーション能力とは何でしょうか?そしてわたしたちはどうやってそれを身につけたらよいのでしょうか?」という質問があった。

そこで、決定的に、先生方のお里が知れた。

なんと、この質問にまともに答えられたのは、たった一人だった。

いちばん憤慨して「若いものはコミュニケーション能力が足りない!」と言っていた先生は、ものすごくあせって、あせって、あいまいな薄ら笑いを浮かべて、「いやぁ~、実際、コミュニケーションというのは何なんでしょうねぇ~。わたしも分からないなぁ~。実際、わたしができているかというとそうでもないかもしれない、、かもしれない。。」と答えた。

びっくりした。

そして分かった。

「これからの教師にとって、どのような資質が必要か」。

これは暗に、「今の教師には欠けているものがある。」ということを現している。

そして、そのベストサンプルが、舞台上に並んでいたのだ。

(こんなこと発言したら、誰かに殺されちゃうかもしれないけど、面白いシンポジュームってホントに少ないなぁ~。。。)

August 12, 2006

土偶化するワタシ。

わがダイエット作戦。

じゃじゃ~ん。

一週間で、3.5Kg減りました~!

すご~いっ!

3,5Kgと言ったら、赤ちゃん一人分ぐらいの重さ?

へえ~。

赤ちゃん一人分のお肉が、わたしの身体から消滅したのね。

すご~いっ!

確かに身体は軽くなりました。

でもさぁ、これって痩せるペースとしては早すぎるんじゃないかしら??

いきなりリバウンドがやってきて、たちまちもとの木阿弥?

そんなの嫌だなぁ~。。。

ちょっと心配。

鏡をよく見ると、おっぱいから痩せてきているみたい。しかも細くなって欲しい太ももの辺りは、いまだ堂々と。。。

このままいったら、私の身体は、まるで、ど、ど、土偶?

(冷や汗)。。。


August 10, 2006

磨かれているのか、いじめられているのか?

ただいま大学で勉強しているので、さまざまな先生の授業を受ける。

自分がワークショップをリードする仕事をしていることもあり、「教える」ということについて、とても興味があるわたしはここで勉強できることをとても嬉しく思っている。

そして大学の先生たちは、と~っても個性豊かだ。ビジネスマンにはない破天荒さをもっている方が多い。研究者とはこういうものなのだろうか。それとも生徒の前だからなのだろうか、言いたい放題、攻めたい放題である。

たとえば「教育の原理」という授業で「文化資本」の問題を扱った。子どもの学力がどのくらい発達するかには、子どもの「文化資本」というものが大きく影響する。「文化資本」というのは、簡単に言うと、その子どもが育っている環境や文化という資質であり、その違いが子どもたちの「学習理解度」や「学習態度」に大きく差をつける。

たとえば、親が芸術鑑賞が好きで、子どもを連れて出かけたり、親が本をよむ習慣があると、子どもの文化資本は「芸術鑑賞」や「読書」について豊かである。反面、親がテレビしか見ないで、読書の習慣がなく、不規則な生活をしていると、子どもの文化資本に「芸術鑑賞」や「読書」はなく、代わりに「テレビ」や「不規則な生活」が、その子どもの文化資本になる。

さてその授業中、先生がスクリーンに、ミレーの「落穂ひろい」の映像を映した。そして、「この絵を美しいと思う子どもの文化資本はなにか?」とわたしたちに質問した。わたしは、「親が芸術的なことに興味・理解があることです」と言った。すると先生は、畳み掛けるようにわたしにこう質問する。「芸術的ってなに?」。「じゃあ、興味・関心ってどういうこと?」と。

しどろもどろで答えると、それよりも格段に普遍的な質問を浴びせられる。

わたしはアップアップ!

(「そんなにしつこく聞くなよぉ~!」と最後はふて腐れてごまかしたけど。。(^^;))

***************


さて、このように学問とは「疑う」ことから始まる。
それを生業としている大学の先生たちは、なんにでも「それはいったいどういうことなのだろうか?」と疑う。生徒のどんな発言にでも、「それはそうだろうか?」と疑問をぶつけてくる。そしてわたしたちを思考の袋小路に落としこむ。

なんと抜き差しならない人種なのだろう~!

そして袋小路に追い詰めて、先入観をブシブシ壊されるのだ。

ブシブシ。

そう。

学問に「思い込み」は厳禁。「これが正しい」と思ったら大間違い。それは間違っているかもしれない。他の考え方もあるかもしれない。

「学習」とは、それを学んだことでその人間が変化すること。

そういう意味で、学習って自分磨きのツールになりうると思う。

わたし、いつかは、ピカピカになれるかなぁ~(^^;)。。。


August 09, 2006

ダイエット続行中。

いやぁ~、ダイエットがんばってます!

1.5KG減りました~。

(あんなにビール飲んだのに、そんなに影響がなかったみたい、(^^;)

暑い日がつづくと簡単に食欲がなくなって、たくさん汗をかきますのでいいんすが、今日は雨。

ステキに涼しい。

食欲がでちゃうかも。

こういう日は気をつけなっちゃねっ!

August 08, 2006

こころの栄養

今日はクラウンであり、イエローマン・グループのメンバーであるイリさんから、個人的にマイムのレッスンを受けた。

表現者である限り、自分の身体を知り、自由に使いこなせるようにトレーニングすることは当たり前のことだ。声についてもそう。「身体・声・こころ」。これらは自分を表現するため、また他者の表現力を指導するためには、理解し自らが使いこなせるようでなくてはならない。

そしてこれらの領域には「ここまでくれば合格!」というゴールや終わりがあるわけではない。死ぬまで磨いていくことができる。だから本当に追求したい人にとってみれば、非常に深い世界だし、そうじゃない人は簡単に怠けることができる。

わたしは(若いとき)大学時代にミーム、ルコック、パントマイムなどを一通り学んだけれど、それはずいぶん昔のこと。その後も身体を鍛えることはしたけど、マイムを極めるところまでは至らなかった。(簡単に怠けていた)。そしてモチベーション的に、「うわぁ~マイム必要!」と思ったのは、ドイツで素晴らしいフィジカルな表現をしているインプロバザーたちを沢山見たことだ。アメリカのインプロバイザーたちは「言葉」のすごさがある。「言葉」や「ストーリー」について、とても知的な豊かな表現ができる。しかし身体性からいうと、頭の上だけでインプロをやっているような人も多い。ヨーロッパのインプロバイザーたちのパフォーマンスは、もっと身体的である。表現に肉体が宿っている。いや、肉体に表現が宿っている感じ。

日本のパフォーマーもどちらかというと身体的な表現をする。ヨーロッパとは違ってアジア的に。そしてこれは私たちのいいところだし、武器になるところだ。それなのにわたしの場合、この身体性のトレーニングやメンテナンスを怠っているために「切れ味なし」な表現になっていることに気がついた。(自分がやっているビデオを見ると、あからさまである)。

10年以上もインプロやっているのに、自分がとても恥ずかしくなった。10年もいったい何をやっているんだ!もちろん自分のインプロのスキルは上がっていることを感じるけれど、でも、もっと表現の部分で磨ける部分があるじゃないか!

確かにここ数年はインプロを日本に広める活動が重点になっているので、パフォーマーというよりワークショップ・リーダーとして時間を使うことが多い。
自分の、パフォーマーとしてのトレーニングがおろそかになっていたのは、ホントにそういう時間が取れなかったからだ。

しかし、これからは心を入れ替えよう。

ちゃんと毎日トレーニングをしよう。

そう心を入れ替えました~(^0^)

イリさんと2時間30分ぐらい、みっちりマンツーマンでマイムを習いました。
普通は10人とか20人でクラスを受けるのですが、これは個人レッスンです。わたしがすでに知っていることは必要ないけれど、できないところ、自分が知りたいこととダイレクトに取り組みたかったので。逐一、できているかできていないかチェックしてもらったのも良かった。だいたいグループレッスンだと、練習にはなるけれど、自分のできていないところを自覚することは難しいので。

いやぁ~、自分の身体の特徴。これからの課題。表現の仕方。ベーシックなところがとてもよく分かりました。これが血になり肉となるにはもう少し時間がかかりますが、「どうしたらいいのか」という部分がとてもクリアになったので、これからは基礎練習にはげみます。
まだまだ勉強できることはあるし、まだまだ磨ける自分がいるのを発見して、とても嬉しい気持ちになりました。

それにしても。

表現者は身体が命だなぁ~。

頭で表現しているレベルが二次元的だとすれば、身体からの表現は、三次元を飛び越えて四次元の世界。空間自体のレベルが違う。

そして発達心理学的にいうと、ピアジェの発達段階のように、一つひとつ段階を経ないと次にはいけないけれど、一度できるようになったら逆行することはない。これと似ています。

次の段階にいけるように、日々、練習したいと思いました。

余談ですが、この時間はわたしにとって心の滋養でもありました。日々の雑用を忘れ、やらなくてはならない膨大な量の仕事を忘れ、自分のために、自分ができるようになりたいことを、自分だけのために教えてくれる先生によって学ぶ。こんな贅沢なことはありません!

とても良かったので、こういう心の滋養をもっと自分にしてあげたいとも思いました。

心に栄養、あげてますか?

August 07, 2006

二つ日(ふつつか)もの。

久々に新国立劇場の梅田さんと飲むことになった。

梅田さんは以前同じ劇団に所属していて、いわゆる「同じ釜の飯」を食った仲。ときどき忘れた頃にふっと会って食事して情報を交わす。いつも忙しくしている梅田さんは、やっぱり今日も忙しそうにやってきた。

「忙しそうですねぇ~」

「いや、この忙しさは、いままで以上。地獄。すごいよ~。」

仕事が終わらなくて連日徹夜はあたりまえ。劇団の事務所に寝泊りしてプライベートの時間まったく無し!の生活をしていた梅田さん。これ以上忙しいってどういうこと??

いろいろ話を聞く。

ふ~む、確かにすごい忙しさ。しかも「国立」の劇場の仕事だからスケールが大きくてすごい。面白そうだ。(とは他人事だけど)。。

「もう一軒行こう~!」リーマンの親父のように、梅田さんを連れまわす絹川。

饗に入って、ついつい飲みすぎてしまいましたぁ~(^0^;)~!

ダイエット2日目にして、この調子。

体重計に乗るのがこわい。。。

。。。。。。。(冷や汗)

August 06, 2006

最近よく泣く。

このごろ、わたしはすぐ泣く。

先日、大学の授業で「もう泣かない!大村子どもの家の465日」という、親から離されて児童施設にあずけられている子どもたちのビデオを見て号泣してしまった。60人ぐらいいる教室の一番前に座っていたので、誰にも見られなかったと思うけど。

そしてビデオを見た感想をグループ内で発表することになったのだが、自分の番がきたら、堰を切ったように涙が溢れてきて発表できなくなってしまった。

ちなみに、こんなに感情的になっているのはわたしだけで、他の人たちはとても冷静にビデオを分析して発表している。そうなのだ、まったくというほど「泣く必要のない場面」でわたしはなぜか号泣してしまったのだ。

「そ、そ、そんなに泣かなくてもいいのに。。。」自分でも泣いている自分にあきれたのだが、こういうときの涙はなかなか止めることができない。もう知性より感情が先走っていて。グループの人たちもさぞかし呆れたことだろう~。(^^;)

いやはや、この涙もろさ。

昔、コンテンポラリーダンスの発表会で、最後のカーテンコールで振り付けのおじさん(多分ゲイ)が、自分の母親に感謝する話をしながら泣いてしまったのを見たことがある。「ごめんなさい、ボクは母親の話になると弱いんです、、、。」

そのときわたしは、「この人は、なんてオープンで、やさしい感性の持ち主なんだろう。」と驚いた。数百人という観客が見ている前で、その舞台上で、自分のパーソナルは気持ちを素直に出して、人前で泣けるなんて、なんてすごいんだろう~って。普通ははずかしくてできないよなぁ~って。

涙もろいわたし。

わたしもそういう域に差し掛かっているんだろうか?

それとも単純に、「年」のせいで涙もろくなっているのだろうか?

今でも、ビデオで見た児童施設にあずけられている子どもが母親を待っている姿などを思い出すと、涙がうるうるしてしまう。。。

それでなくても、最近、ホントに、ささいなことで、すぐウルウルしてしまのです。

いったいどうしたんでしょ?

August 05, 2006

せめて三日は続けたい。。。

夏ばてであまり食欲がないので、これがチャンス!と、「ダイエット」することにしました~(^0^)~!

さて、どうなるかな???

August 04, 2006

人が気がつけないことを指摘するのは大きなお世話なのか?

先日、8月19日(土)に行う『シアタースポーツ』の稽古をしました。

ワークショップというものは、参加者が主役で、自らの気付きを大切にします。
でも「インプロの稽古」となると、ニュアンスがちょっと違ってきます。

もっと具体的に「こうしたほうがいいのではないかなぁ~?」「あ、今、見てなかったよね。」「今、”ここに”いないで、頭の中にいたでしょ?」などのサジェッションをしています。

いい意味では、「ワークショップ」では学べない、深いところ&最先端のインプロ・スキルを学ぶことができるのです。

しかし、あまりよくない意味になってしまうときもあって、自分が主役の「ワークショップ」が好きな人たちは「稽古」のやり方だと傷ついてしまうことがあります。自分を否定された気持ちになってしまうんです。

もちろん、こちらは決してそんなつもりではないのですが、受け手にはそう受け取られてしまいます。だから、それを見極めて、サジェッションのやりかたを、真綿でくるむみたいに変えなくてはなりません。

でもたまに私の集中がきれます。そして「そんなところに神経を使っているぐらいなら、もっと内容について神経を使わせておくれ~!」って。。。未熟者ですね。。(^^;)

ですから、この方法がいいのかどうなのか、正直言って分かりません。

ただ、「人生はそんなに長くもない」ということを感じていますので、関われる人には全てを伝えたいし、理解してもらいたいという気持ちはあります。

今までは、稽古でもワークショップ風なやり方をしていました。しかし、気がついたんです。

「人って、意外に自分のことは気がつかないのね!」

「しかも、いつの間にか、”自分のやり方が正しい”と思ってしまうものなのね~」

と。

たとえば2人でシーンをやった場合、実は、最初の2つのセリフで「このストーリーはいったいどういうことなのか」ということは分かります。ですので、もしいいインプロバイザーがシーンをするときは、お互いにすぐにストーリーを作ることができます。(もちろん、舞台上で”シーンがどこへ行くか分からないで迷っている”とうときはありません。もちろん”分からない”瞬間はありますが、それは違った位相での準備しないよさ、”今、瞬間が動いているから、どうなるか分からない”であります)。

つまりシーンが始まって、1秒か2秒ぐらいで、「この物語はこういうことだね」とすぐにシーンについての遊びどころが分かるのです。

このような目にみえない、即興だからこそのやりとりを理解できる、もしくは体現できる人は日本ではあまりいないかも。これを理解するためには、100%、「ここにいる」ことができなくてはなりません。
そしてほとんどの人は、まだまだそこまでは至っていません。どうしてかというと、シーンが始まると、「どうしよう」「自分はなにをしたらいいのか」「なにかをやらなくてはならない」などと考え始めてしまうからです。その場、その瞬間に100%コミットメントできていないのです。(しかも、自分ではコミットメントしていると思い込んでしまうことが多い。)


このような説明は「ワークショップ」ではあまりしませんが、「稽古」ではするようにしました。

じゃないと、なかなか気がつけないことなんだもの。

インプロをもう10年もやっている人でも、イエスアンドできていなかったり、これらストーリーのこと、100%今の瞬間に生きること。できている人は少数です。

「できているのがそんなにすごいのか!?」「自分流にやって、なにが悪いっつ!」と怒られちゃうかもしれないけど、キースやその他すばらしいプレーヤーたちがやっていることを、「まずは試してみる」ことをしても、損じゃないと思うんだけどなぁ~。

キースも言ってた。
「悪いこといわないから、まず、わたしが言っていることを試してみたら?」って。

(海外でも、すばらしい先生の話を聞かないで我流でやっている人たちはたくさんいる。)

(でも、正直いって、あんまり面白くない。)

(お客さんがあまり入っていない。)

(こういうインプロをやっている人の共通点は、意固地になっていること。なにかにこだわっているのが見える。。)

さて、

自分が伝えたいことをどうやったら分かってもらえるか。

これは一方的なわたしのやり方じゃダメなんだ。

だんだん「もう無理かも」「きっと伝わらないし、理解されないから、伝えるのやめようかな。。」という仏陀のような気持ちにもなりそうになりますが、今はまだ「伝えたい」気持ちがあります。

どうやったら理解してもらえるか?

これについて、わたしはもっと謙虚に考えなくてはならないと思う。。


August 02, 2006

年齢なんて関係ないっ!

大学で勉強しなおしています。

9:00~5:00まで、びっしり勉強です!

これはスクーリングと言って、通信教育で大学の勉強をしている人たちが、年に何回か大学に通って勉強するというものです。

全国から、いつもは孤独に通信教育で勉強している人たちが集まっています。

圧倒的に多いのは20代の人たち。よく考えたら、もし自分に子どもがいたらこんな年齢なんだなぁ~。今は同級生だけど(苦笑)。

でも中には、わたしと同世代もいます。あきらかに仕事をもっているなと思える女性たち。また子どもを実家に預けて新幹線でやってきた主婦。教職の免許を取るために数週間仕事の休みをとってきているサラリーマン。

そして中には50歳代~60歳代のおじいちゃん、おばあちゃんもいらっしゃます。

みなさん本当に熱心に勉強されている。

それを見るにつけ、こんな風に感じます。

「なにかを始めるのに、年齢は関係無いっ!」

「やりたいと思ったときが適齢期っ!」

本当にそう思います。

それに。
勉強するのなら若いうちのほうが有利のいいように思えますが、実はそうでもないかもしれません。
年寄り(?)の人たちのほうがモチベーションが高い分、一生懸命勉強するし、他にもやらなくちゃならないこと(仕事とか家庭とか)があるし、人生が短いってことを身にしみて感じていますから、集中力が高い。

「今しかできないから、とにかく今、みっちりやる!」という気合が入っています。

反対に20代の若者たちにとって通信で勉強するのは孤独なもの。こうやって友だちと会うことができるのがとても嬉しいようで、勉強以外での交流も盛んみたい。20代の若者のほうが授業ではぐったりしています(飲みすぎか?)。

さて、みなさん。

なにごとも、モチベーションが肝心です!

自分を高めていきたいのならば、本当にやりたいと思うことを見つけること!
(それは誰の心の中にもあることだと思います)。

そして、たとえ誰かに後ろ指さされようとも、「いい年なんだから、やめなさい!」とか「もう遅すぎるんじゃないの」と笑われても、平気のへー助で、自分が本当にやりたいことをやる。

これが自分を本当に高めていくことではないかと思いました。

それができるかできないか?

それは「やるか」「やらないか」にかかっています。

そしてそれは、年齢にはぜ~んぜん関係ないと思います。

スクーリングで勇気と元気をもらってます!

August 01, 2006

夏のスポーツクラブの怪。。。

わぁ~8月だっ!

大好きな季節の到来。

8月って夏休みもあるし、お盆もあるし、暑いしで、なんだか世の中の現実感がなくなるような気がします。

半分蜃気楼化するというか、ウトウトするというか、ぼんやりするというか。昔映画で『異人たちの夏』というのがありました。そう。夏という季節がもたらす独特の時間。現実か幻か、よく区別がつかない感じです。

***************

さて、今月はたっぷり日本にいられるので、思い切って近所のスポーツクラブの会員になりました!

申込みに行ったら、子どもづれのお母さんたちがぶりぶり集まっていてびっくりしました。夏休みだから子どもをスイミングクラスに通わせるためでしょう。わたしより若いんだけど、「お母さん」な彼女たちは、わたしがちょっとニガテな熱いエネルギーで井戸端会議をしていました。なかなか近寄りがたい雰囲気。けれど興味深い光景です。

会員になって、館内を見学。

スタジオの中央にブルーのマットが敷かれていて、そこがストレッチをする場所だそう。

あれ、アザラシの群れ?

いえいえ、おばさんたちがゴロゴロ寝転がって(ストレッチなんてしてない!)、くっちゃべっているのです。

端っこのほうで、やせほそったおじいさんがしこしこストレッチする姿が愛おしく感じるほど、おばさんたちは「わたしたちに恐いものはもう無いの」的なオーラをかもし出し、大胆なくつろぎ方をされていました。

そしてロッカールームへ。あれ、銭湯???

おばさんたちがシャンプーなどを入れたカゴを抱えて、通路の中央に固まって大声で話をしています。

と、と、通れない。。。(^^;)

くつろぎ方から、ひと目で常連さんだと分かります。「ここはオレの庭だから、よろしくっつ!」と肩で風切るテキヤの親分のような、そんな風情のおばさんたちだらけです。

たちまち居心地が悪くなったけれど、まぁ、いいや。

着替えて、スタジオへ。

久々にエアロビックスをやりました。

それにしても、どうにかなりませんか、インストラクターのウソ笑顔と、異常にきれのよい動き。
ときどきわけの分からない雄たけび。マイクを通すから、それはもう断末魔。

そして、あきらかに年齢には相応しくないスポーティな姿のおばさんやおじさんたちが、「へぇ~い!」とか叫びながら動いている悲しさ。

なんか、しらけてしまいました。

若いときは大好きだったのにな、エアロビックス。
その文化的不思議さがとても気になって、なんだか真剣にできませんでした。
「なんかおかしい。いったい何が?」などと、スポーツに相応しくない悩みを抱えて、ひとり立ち止まってしまった私でした。

しかもトレーニングの場所では、「ふんぐぐっぐぐぐぐ~っ」っと、とても人間の声とは思われない、ゾウもキャッチできないぐらい重低音の太い声でうなりを上げて、バーベルを上げている子どもサイズの背丈のおじさんとかいるし。

まるで動物園です。

面白いなぁ~!

場所が変わると、居る人間も違いますね~。

なかなかお目にかかれない人たちを見ることができる。

とても新鮮でした。

しばらくは人間観察という楽しみ満載でございます。

うふふふふ。


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