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August 10, 2006

磨かれているのか、いじめられているのか?

ただいま大学で勉強しているので、さまざまな先生の授業を受ける。

自分がワークショップをリードする仕事をしていることもあり、「教える」ということについて、とても興味があるわたしはここで勉強できることをとても嬉しく思っている。

そして大学の先生たちは、と~っても個性豊かだ。ビジネスマンにはない破天荒さをもっている方が多い。研究者とはこういうものなのだろうか。それとも生徒の前だからなのだろうか、言いたい放題、攻めたい放題である。

たとえば「教育の原理」という授業で「文化資本」の問題を扱った。子どもの学力がどのくらい発達するかには、子どもの「文化資本」というものが大きく影響する。「文化資本」というのは、簡単に言うと、その子どもが育っている環境や文化という資質であり、その違いが子どもたちの「学習理解度」や「学習態度」に大きく差をつける。

たとえば、親が芸術鑑賞が好きで、子どもを連れて出かけたり、親が本をよむ習慣があると、子どもの文化資本は「芸術鑑賞」や「読書」について豊かである。反面、親がテレビしか見ないで、読書の習慣がなく、不規則な生活をしていると、子どもの文化資本に「芸術鑑賞」や「読書」はなく、代わりに「テレビ」や「不規則な生活」が、その子どもの文化資本になる。

さてその授業中、先生がスクリーンに、ミレーの「落穂ひろい」の映像を映した。そして、「この絵を美しいと思う子どもの文化資本はなにか?」とわたしたちに質問した。わたしは、「親が芸術的なことに興味・理解があることです」と言った。すると先生は、畳み掛けるようにわたしにこう質問する。「芸術的ってなに?」。「じゃあ、興味・関心ってどういうこと?」と。

しどろもどろで答えると、それよりも格段に普遍的な質問を浴びせられる。

わたしはアップアップ!

(「そんなにしつこく聞くなよぉ~!」と最後はふて腐れてごまかしたけど。。(^^;))

***************


さて、このように学問とは「疑う」ことから始まる。
それを生業としている大学の先生たちは、なんにでも「それはいったいどういうことなのだろうか?」と疑う。生徒のどんな発言にでも、「それはそうだろうか?」と疑問をぶつけてくる。そしてわたしたちを思考の袋小路に落としこむ。

なんと抜き差しならない人種なのだろう~!

そして袋小路に追い詰めて、先入観をブシブシ壊されるのだ。

ブシブシ。

そう。

学問に「思い込み」は厳禁。「これが正しい」と思ったら大間違い。それは間違っているかもしれない。他の考え方もあるかもしれない。

「学習」とは、それを学んだことでその人間が変化すること。

そういう意味で、学習って自分磨きのツールになりうると思う。

わたし、いつかは、ピカピカになれるかなぁ~(^^;)。。。


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