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May 04, 2008

協働関係でいたいなぁ~。

1984年にNYで上演された、ベケットの『ロッカバイ』(ビリー・ホワイトロー主演)のビデオを観ました。

このお芝居は、ベケットの晩年の作品で、上演時間は14分。
「死」を目にした女性が、それを受け入れていくプロセスを描いたひとり芝居です。

主演のビリー・ホワイトローはベケットのお気に入り俳優の一人。
このビデオでは、上演までの稽古の過程もドキュメンタリー風に撮影されています。

特に興味深かったのは、演出家アラン・シュナイダーとビリー・ホワイトローの稽古風景。
普通、お芝居の稽古は「稽古場」で行われるのですが、この稽古は、なんと彼女の自宅で、と~ってもプライベートに繊細に行われました。
彼女は自分のイメージを演出家に伝え、演出家はそれに答え、彼女が演じてみます。
演技は大げさではなく、でも集中度の高いもの。それに演出家が寄り添い、アドバイスをしていきます。

ここで演出家は、客観的な・先生的な・指導者的な・上からものを言うような立場をまったくとっていません。母であり、応援者であり、理解者であり、探求者であるかのよう。

「そう、そうだね!すばらしいよ、ビリー!それで?うん、うん、なるほど。」

アラン・シュナイダーはベケットととても親しく、彼の戯曲をたくさん演出したことがあるためか、台本への解釈にも、演出家としての自信を持っており、かつ柔軟に、彼女と一緒に創作していました。

日本のお芝居の稽古では、(すくなくとも私が知っている限りの=ものすごく多いとはいえないけれど、一般の方よりは少しは知っているレベルだけれども。)演出家は、稽古場の前面の机に座り、俳優は仮舞台となっている中央の空間にほうり出されます。

「なにか、面白いことをやってみろ!」
な~んて言う演出家もいます。

これだど、演出家は「見る」立場として、俳優は演出家に「見られる」立場として相手に関わりますので、演出家と俳優は、協働者ではなくて、敵対関係になってしまいがちです。

でもビデオで観たアラン・シュナイダーとビリー・ホワイトローの稽古は、俳優がイスに座り、演出家は横に寄り添う感じで座っていました。時に手をにぎり合いながら。

わたしは、いい・悪いというより、単純に「いいな」と思いました。
ここでは「見る」「見られる」という立場ではなく、「いっしょに創る同士」という立場があったからです。

このように安心した稽古場ならば、俳優は思いっきり自分の深い部分をさらけ出すことができます。現に、ビリーはものすごくプライベートな感情を、アランの前にさらしだしていきました。

その表出したもの(とても繊細で傷つきやすいもの)を舞台に乗せるのが、俳優と演出家の仕事なのですから、そのための稽古の条件づくりは非常に大事なものだと思います。

日本だけで活動していたときの俳優としての私は、このようなすぐれた(というか、考えてみればまっとうな)環境を知らず、いつもびくびくして、ギスギスしていたように思います。

いつ演出家に怒鳴られるか。いつ演出家から否定されるか。

それにおびえていました。だから自分の深い部分を表現することなんて恐ろしくてできませんでした。そして、それを受けてとめてくれる観客がいるかどうかも信じられませんでした。

遅まきながら、このようなすばらしい先輩たちの偉業を見ることができて、大事にしなくてはならないものは一体なんなのかが、またひとつクリアになったような気がしました。

こういうビデオは、日本の演劇人にも「テレビを見る」かのように、見てほしいなぁ~と思いました。

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