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April 07, 2011

先よみじゃなくて、「共感」することで先が見えてくるのでは?

日本のニュースをインターネットで見ています。
朝日、日経、読売、毎日、産経、グーグルなどすべてに目を通すようにしています。

状況はどんどん変わってきているようですね。
何しろ、前代未聞の天災+人災ですので、世界の誰もが経験したことのない状況が毎日続いているのです。

みなさん、大丈夫ですか?

東京のスタッフからは「ちょっと疲れています。」などのメールをもらっています。
自粛ムードもあるし、気が抜けない毎日ですもの。精神は身体に影響します。みんなの健康が心配。

花見を自粛しないほうがいいのではという声もあるようですね。
自粛しないほうがいいけれど、自粛したい気持ちもありますよね。でもこのままでは経済的に落ち込んでしまう可能性もあるわけで。。。難しところです。

フランスのジェーン・バーキンさんの記者会見をネットで見ました。
彼女は、いてもたってもいられなくなり飛行機のチケットを買うお金が(幸い)あったので、日本に来ました。と言っていました。彼女の行動力のすごさもさることながら、わたしがステキだなと思ったのは彼女のトーンです。彼女のメッセージ「元気を出して」は、とても優しいトーンでした。「みんな応援しています」というトーンには「がんばれないところまできているのに、もっとがんばれ!と言われる」ようなニュアンスは全くありませんでした。なんというか、そういう「ソフト」なオーラ。

このオーラに感じたことは、「彼女は先のことを考えて支援しているのではなく、今のことを感じて”共感”しているのだ」ということ。

これは「私たちは、これからこのように支援します」という、先を読んでの「”私たち”」存在のアピールではなく、「相手の今ある状況に、ただより沿っていく」というありかたです。
どっちが優れているという訳ではありませんが、わたしは彼女のあり方に繊細なあたたかさを感じると共に、新しさも感じたのです。

インプロ的(わたし的)に解釈しますと以下。

「がんばろう」という言葉は、先へ先へとストーリーを進めようとする気持ち。
これは推進力にはなるけれど、あまりに強すぎると「今あること」を見失う危険性もあります。

また、「じゃ、どうがんばるの?」というと、今までの既成概念からの解決策しか生まれない。
だってそこからしか知恵がでてきませんので。だとしたら、同じ間違いを繰り返す可能性もあるのでは?

「今に寄り添うこと(一見、停滞してしまうような感覚にも陥るかもしれないけれど)によって、次のストーリーは自然(オーガニック)に見えてくる(どうしたらいいのかは、現場が知っている)」というのが、インプロのストーリーづくり的考え方ではないかしら。

もちろん、今は「先よみ」をしなくてはならない時かもしれません。「今の悲しみ」に浸っている場合じゃないのかも。でも、それって、今までの歴史でたくさん繰り返してきた事です。そして、どうなったか、私たち日本人は何を失ってきたか。。。

「がんばろう!」が「がんばらなくてはならない」「がんばっていない人はダメ」という価値基準にならないといいな。

「元気になろう」が「元気じゃなくちゃいけない」「元気じゃないひとはダメ」という価値基準にならないといいな。

「寄付しよう」が「寄付しなくちゃいけない」「寄付しない人はダメ」という価値基準にならないといいな。

「アクションを起こそう」が「アクションを起こさなくてはならない」「アクションを起こさない人はダメ」という価値基準にならないといいな。

「笑おう」が「笑わなくちゃいけない」「笑わない人はダメ」という価値基準にならないといいな。

どっちも「あり」で、どっちも間違いじゃない。

どっちを選ぶかは、人によってさまざまで、それでいい。

そういう「ゆるさ」や「やさしさ」や(ある意味)「いいかげんさ」を、もうそろそろ日本人も学んだほうがいいと思う。


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