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September 26, 2011

言葉と発露。

現代日本戯曲朗読シリーズ「棒になった男」が無事終了しました。
ニュージーランドのお客さんに受け入れてもらえるか興味深いところでしたが、大方「この物語は普遍的だから、私達も楽しめた」という感想でした。

さて、インプロ(即興演劇)が専門のわたしが、なぜ戯曲の朗読公演をするのか?

慰留はいろいろあります。
演出家としての腕を磨く。英語圏の俳優と「台本がある」中で演出をしていく体験をする。日本にある上質の戯曲を紹介したい。などなど。

その中の一つとして、即興演劇ばかりしている自分が、「自分の中には無い豊かな言葉に恋いこがれた」ということがあります。

即興演劇で役者たちから発せられる言葉は、その人がもっている語彙の範疇を出ることはありません。俳優から発せられる言葉のほとんどは(ジブリッシュも含めて)、自分の体内にもともとあったものです。

もちろんその言葉は莫大だし、その言葉や知識をさまざまに組み合わせることで無限大のアイデアが出てくるに違いありません。
(それが理由で、日本のアイデア業界の人たちも、ようやく「インプロは面白い」と言い始めているようですし)

ただ、私のように、その作業をず〜っとやってきている者は、「他人の言葉」を学んで自分を肥やす必要がある。でないと畑が枯れてしまう。という危機感があります。

だいたい、音楽のインプロバイザーは、音楽のテクニックがばっちりある人たちが行っています。初心者の音楽家が「即興音楽」をやることはあまりないのではないでしょうか。これは絵画の世界でも同じで、まずはスケッチなど学んで、そこから手法が発明され、そこに即興性が生じるのでは。ですから、音楽家たちのインプロを聞くと、「日本で即興演劇やっている人たちは土俵が違いすぎて、勝負にならないな」と思います。

演劇というのは面白いジャンルで、特に即興演劇の場合は、なんと演劇の経験の無い人でも始めることができます。なんと演劇の経験がないのにインプロバイザーになってしまえます。

音楽ならばちゃんと楽器が演奏できなければ、テクニックが無ければ、インプロヴィゼーションはできないのだけれど、演劇の場合は、演劇を見たことがなくても「インプロだ」といって活動を始められてしまいます。

ここに大きな落とし穴があると、私は思っている。

簡単に始められることは、いけないことだとは思わないけれど、簡単に初められるものにも「深さ」があることを知ってもらえればいいなと思います。

わたしはこれを痛感しているので、自分の深みをもっと作るために他人の言葉を学ぶのです。

ただ、すぐれた戯曲を読むと、その面白さに圧倒されて、「即興で演劇するなんておこがましい」と感じてしまうことも。

そういう時は逆に、「語彙じゃない。語彙の発露にある思想/感情のほうが大事なのでは」などと考えて、なえる気持ちを奮い立たせたりします。

そうやって、だましだまし、自分に喝を入れながら毎日を過ごすのです。

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