My Photo
無料ブログはココログ

« アカデミー賞の発表。いつも後追いの日本。 | Main | 海外で日本語を学ぶ子供たちに私ができることと言えば。 »

February 28, 2012

見えないものの価値大事にしたい。見えない落とし穴に気つけながら。

NHK news webに「実体験で語る 数学は必要か?」
という記事がありました。
http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/0224.html

ざっくり紹介すると以下。
「現在、日本の大学生の数学力は低下している。
社会では、数学の問題解くことはない。けれど、
数学によって得られる“論理的な思考や、それ証明する力”は、
あらゆる分野で必要とされる。だから数学は必要である」

「そうだよなぁ〜、数学は大事だ」と思せる記事です。
ここまでは納得。

しかしその後「理由はゆとり教育」とくると、
読者の反応としては「ゆとりは必要ない。もっと勉強させなくては。」
となるのでしょうか。そして子ども達は、さらに勉強に
時間を費やす事になるのでしょうか。

この論理の流れには、何か「落とし穴」がありはしないでしょうか。

もちろん数学が必要ないと言っているのではありません。
一見「必要ない」ような科目でも、大人になって必要になることはある。
ということは大事なメッセージだと思います。

ただ、この類いの記事は「数学」という
具体的に経済に結びつくものの重要性は説いて、
それ以外のものについて触れない傾向にあることに
ちょっと不満感じます。

だったら。
私は考えます。
演劇だって/音楽だって/体育だって、必要です。

演劇によって、将来をイメージする想像力が育ちます。
音楽によって、心揺れ動かすのは表現力の根源となります。
体育によって育まれる体力は、人間の活動馬力。

ちなみに明治時代は、坪内逍遥によって児童劇がとても盛んでした。
しかし戦争に入って、それはすべて廃止されてしまいました。
なぜか。それは児童劇が盛んになり、子どもたちが
“主体的”に発言できるようになること政府が危惧したから
だそうです。

未曾有の恐怖の体験によって、本当は家族が大事/本当はやりたい事の実現
お金よりも大事なことがあるなど、自分の生活を見直した人たちがたくさんいるにも関らず、
時間がたつごとに、物ごとの価値は、な〜んとなくうやむやにすり変って、
いつの間にか自分達が希望していない元通りの社会になっている。
そんな流れに、すでに(またもや)なっているように見えます。

世の中には、こういう「落とし穴」がいくえにも存在していて、
考えないで行動していると、あっという間にそれに取り込まれてしまう危険性
感じます。

もう二度とそういうことのないように、
点検しながら生活していかねばと思います。

« アカデミー賞の発表。いつも後追いの日本。 | Main | 海外で日本語を学ぶ子供たちに私ができることと言えば。 »