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March 23, 2012

さとなおさんの「共感」に強く「共感」

さとなおさん(シニア・クリエーティブ・ディレクター/ソリューション・ディレクター)の文章「人はわかりあえっこないからこそ、たまたまわかりあえたときに強い「共感」が起こる」に強く共感して。

タイトルのように、さとなおさんは「人は分りあえないことが大前提。だからこそ、たまたま分りあえたときに、共感がおこる」と書いています。

以下、ものすごく抜粋。

日本人が好きな格言に「自分がやられて嫌なことをヒトにするな」みたいなのがある。もっともらしく聞こえるけど、これは「自分が嫌なことと他人が嫌なことは同じである」を前提とした甘えだ。
(プチ省略)
その他人、つまり、「もともとすべてにおいて違う相手」に発信して伝えるのだから、「わかりあえない」「共感なんか起こらない」ということが前提となる。そう、わかりあえっこない。共感なんか起こりっこない。でも、だからこそ、わかりあえっこないからこそ、たまたまわかりあえたときに強い「共感」が起こる。

インプロやっている人/教えている人なんかで、「相手の気持ちを汲み取ってあげなくてはいけない」と考えたり/教えたりがいるみたいだけど、これも同じように「自分には相手の気持ちが分るはずだ」という思い込みがあるのではないか。「相手の気持ちなんか分りっこない」ということを大前提にしないと、同じ甘えが発生する。

また、さとなおさんは「自分のオリジナリティ(素の自分)を出せば出すほど強い共感を得られやすい」と書いています。これも納得。つまり、人は「これは、あなたも共感できますね。共感できるはずです。だってあなたの気持ちが私には分るんですから」的な文章はまったく共感されないということ。そしてこういう発言する人はたいがい「組織」の自分として発信していて、「個」としての自分の発信をしていない。

すごく面白いなと思ったのは、「共感とは、相手が探し出してくれるもの」という部分。つまり「共感してよ!」と強要する状態ではないところで、「共感」は生じる。「共感」は相手が自分のどこかを読み取ったときに、相手の中に起こること。

だから「肩書きとか体裁をとっぱらった”素の自分”を出せば出すほど、人はその”素の相手”に共感する部分を見いだす」のだと。

この視点から「共感」を考えた場合、芸術家はまさしくそういう存在。いかに自分をさらけ出すかがある意味勝負である。しかし考えてみると、「共感」という感覚でつながり得るのは、どの人間関係も同じこと。もしかしたら、芸術家という職業だけではなく、さまざまな職業の「大人」にこれは必要なんじゃないだろうか。

「素の自分」をいかにさらけ出せるか。
これがポイントです。

以下、さとなおさんのブログ全文です。(それ以外の文章もとてもおしろいのでお勧めです)
http://www.satonao.com/

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