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March 14, 2012

本当に「雑草」のような人とは。

ガーデニング。
とは名ばかりの「草取り/雑草ぬき」です。(苦笑)。
農家のおばさんがかぶるような帽子かぶり、長袖なかずぼんで長靴。
日焼けクリームたっぷり塗って、準備万端!
特に雨の後は、雑草延び放題〜!になるので、定期的に雑草ぬきしないと大変なことになります。

さて。
誰ともは話さないで、一つの作業に集中し淡々と行うことは、アクティブなメディテーションですね。雑草ぬきは或る意味「メディテーション」の作用があるんじゃないかな。

さて、雑草ぬいていていつも思うこと。
それは「雑草というだけで引っこ抜かれる」のは不公平だなぁ〜。
バラに生まれれば大事にされる、雑草だと嫌れる。人生はなんて不公平なんだろう。
雑草の運命を自分のそれと置き換えたりして、世をはかなんでいました。

しかし!
実際に雑草をぬいていて気がついたこと。
それは、現実的には、雑草は本当に強く、抜いても抜いてもはえてくるだけではなく、どんな植物にも絡まり、突き破り、強力にはびこり、最終的には他の植物を殺してしまうということ。
定期的にその草を抜かないと、その草だけが生きることになってしまうのです。
他は全滅。どうせならいろんな植物に生きて欲しい。いろんな昆虫や動物にも影響ありますもん。
ですから、雑草はやもなく抜かなくてはならないのです。

さて、目立たなくても強く生きる人のことを「雑草」と表現しますね。
私なぞは、自分は「バラ」というより「雑草だなぁ〜」と思います。

しかし、実は「雑草のような人間」とは、他を殺して自分たちだけが生き残ろうとする人たちのことかも。

だとしたら、私は雑草にはなりたくないなぁ〜。

そして、だとしたら、「雑草」と呼ばれるべき人たちは実は別にいるんじゃないか。
特に日本では、そういう人たちがしゃーしゃーと羽振りをきかせているんじゃないか。

そんなことを考え、別に「排除すべきだ」とか「抜きさるべきだ」とは思いませんが、「共存」の難しさを改めて感じました。


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