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September 17, 2013

【自分への備忘録】ファシリテーターの創造性。じゃあ、あんたは一体なんなんだ?

ワークショップをファシリテートする立場として、今日のワークショップは(自分的には)ひじょ〜に新しいものでした。コーチングでいう「レベル1,2,3」の概念を持ち込み、「ジブリッシュ」を使って、「考えだす」のではなく「オーガニックに溢れ出す」発想の感覚をつかむことがテーマでした。

(裏話をすると、事前に考えていたテーマ&内容は「柔軟性を養う」で「最終的にペーパーズをやる」でした。しかしウォーミングアップの時に皆のリクエストを聞いて分かったことは、私が用意していたものは「まったくそぐわない」ということ。そこで思い切って、すべてを「即興」で、しかも→ここが大事→「クリエイティブに」進めてみることに挑戦したのです)

さて通常ワークショップの内容は、事前にプランを立てておくものだと考えられがちです。参加者やワークの主催者側から「何をやるのですか?」と事前に聞かれることもあるし、集客のこともありますし、「テーマとか内容とかは予め決めておくこと」がコモンセンスになっています。これはワークショップそのもののためというより、むしろそれを「社会という現場で成り立たせる」ために必要なのではないかと私は考えます。

とくに初心者のファシリテーターには(別の意味で)プランは必要です。「次になにやろうか?」と考えるあまり固まってしまい、参加者のみなさんを不安にさせるのはよくありません。不安な顔を見せてしまったら、場も人も不安になります。(ワークの場は「安心」の場であることが大事だから)それに大事な時間を止めることはできません。だからプランは必要。ただし、これはあくまでも「防火対策」であり、「補助輪」であり、「日よけ対策」であり、「転ばぬ先の杖」です。

自分のプランにしばられ過ぎることによる弊害は、参加者を含めた「現状」を見逃してしまうこと。「現状」に必要なことを見逃したり、無視したりして、自分のプランを押し通そうすると「合わない入れ歯」と同じで、参加者にとって苦痛な時間となります。(入れ歯はしてないけど、想像すると、おそらくそうです)逆に「今必要なこと」を勇気を出してやってみると「醤油にマヨネーズ」「オレンジジュースにシャンベン」「チーズに海苔」。「あんがい行けるじゃん!」となることも多いです。

さて、経験をつんでファシリテーターも中級になると、現場の状態を見ながら、どんどん変えることができるようになります。こうなるとファシリテートする側も参加する側も、ワークショップの「場」も、クリエイティブになっていきます。考えてみると、「誰かが考えたルールを守る/うまくできるようになる」というレベルでは、結局「やらされている」だけで、自分のクリエイティビティは発揮されたことにはなりません。それでは「車の運転を習う」のと大差はない。のかも。

さて、今回はもっと大胆なファシリテートに挑戦してみました。プランを全く立てないで「参加者の状態から、次の展開を”創造”」していったのです。

想像するだけでもスリリング〜。

どんな流れだったかを簡単にご説明しましょう。ウォーミングアップの段階で、かなり面白いことになっていたのですが、それは割愛して、エクササイズの部分の話しをします。以下。

いつもの「ジブリッシュサークル」からスタート。それ以降は、皆さんの中に「その時に起こったこと」をさらに広げ深めるためのエクササイズを「その場で」つくり、試しました。そこから「みんなで見つけた面白さや問題点」をさらに広げ深めるために、新しいエクササイズを「その場」でつくり、試してみます。

誰かにならったエクササイズは一つもやらず、すべてのエクササイズは「その場」で産まれたもの。つまり、そのエクササイズは今まで誰もやったことがないし、ファシリとしては、一回も試したことのないエクササイズなわけです。それを参加者の方々に試してもらいました。

絹川「じゃあ、今度はこれを試してみて〜。3人出てきてくださ〜い。あ、やっぱり4人ぐらいいたほうがいいかも。4人出てきてくださ〜い。4人でシーンつくります〜。」

そのエクササイズが、「これをやると場が盛り上がる」的な「絶対うけるエクササイズ」なのかどうなのか、それはやってみないと分からないのです。もしかしたら、ぜ〜んぜん面白くないものかもしれません。それはやってみないと分からない。。。

さて、実際には、2時間30分のワークショップで、新しいエクササイズが5つできました。その中の1つは、かなり秀逸で、みんなで狂ったように笑いました。逆にある1つは、「逆に頭で考えることを促進してしまうね〜」という感想。皆でディスカッションする中で、今回のテーマにはそぐわないエクササイズだということを発見できました。しかし、違う文脈で利用できる可能性も大きく、裏側から「頭の使い方」について皆とシェアーできたのが「知の共有」として豊かでした。

つまり、このような作業には「よい/悪い」は無いのです。芸術の世界では、しごく全うな世界であります。

さて、このような「どうなるか分からない」ワークショップは、現実的には非常にリスクが高いです。ワークショップ主催側の立場だったら、決してやりたくない。だいたい集客できませんものね〜(苦笑)。しかも、「もしわたしがアイデアを思いつかず、新しいエクササイズを考えられなかったら、どうするのか?」という不安もあります。まぁ、これを疑った段階で思考がストップしそうです。

今回、このようなやり方を、なぜ試すことができたのか?
それは、参加者の皆さんとの信頼関係だったと思います。長年同じメンバーでワークショップを続けていくことの良さが、ここにはありました。私を信頼してくださっている事を知っていますので、私も思い切った冒険をすることができたのです。

「目に見えないもの」「あるけど、ほとんど見逃してしまうこと」に気がつく面白さがありました。(あ、くれぐれも提言しておきますが、これは、神秘で、信仰宗教的で、ミステリアスで、マジックな世界観や意味ではありません!)私が興味があって、今述べているのは、「芸術や表現周辺にあること」についてです。

これらを、ファシリテーターだけが提案するのではなく、参加者の皆さんと一緒に見つけていくこと。これはただワークショップをプロバイドする。ワークショップを受ける。という関係を超えています。そして、とてもクリエイティブだと思います。

こういうワークショップがいつもできるとは限りませんが、じょじょに、どんなワークショップでも、このような手法、このような参加者との関わり方、このような立ち振る舞いができるようになると、もっと面白くなるなと思いました。

自分よりもっと偉い先生から教えてもらったことを(それは悪いことじゃないと思う)、いかにも「自分が考えた」ことのように話すことで(話すのはぜんぜん悪くない。でもそれは「あなた」が考えたことじゃないことも話していいのでは)、自分のステイタスを維持し(即興は開くこと。玉座から降りること)、「相手を変える」こと(即興演劇では、相手を変えようとする前に、自分が変われがモットー)を職業とするのではなくて、

「じゃ、あんたは一体どうなんだ?」と突っ込まれても、堂々といられる人間でいたいです。

つまり、ファシリテーターという立場も「創造的であるべき」だってこと。

わたしは、自分に、そういうテーマを突きつけて活動していきたいです。


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