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October 10, 2013

リテラシーが必要だと思われる事柄。

わたしがこれから書くことは、個人を中傷する目的ではありませんし、世の中を変えようなんていう大それたことではありません。

ただただ、現実として「今こういうことが起こっている」ということだけを、そっと目の前に置いておきたいのです。もちろん、これから書く事だけが事実ではありませんし、事実は今もそれぞれの時空間で同時に起こっていることですので、その中のほんの一つの「塵」みたいなものです。

ただ「塵もつもれば山となる」という言葉もあります。
「塵」にも力があり、いつかは「山」になる可能性もあるわけですから、そういう意味では、誰かがここに印として残しておいても、何かの足しになるのではと、そんな気持ちで書きます。

(なんか、大げさなオープニングでスミマセン)

さて。
今日は青山学院大学院でインプロワークショップの授業を行いました。
ここでは、ただ「インプロを体験する」ということだけではなく、「インプロを使ったワークショップのあり方について」や「プログラミングについて」や「指導法について」など応用的なことから、普遍的な哲学的なことまで、参加者の興味に乗っ取って、さまざまな視点で行っています。

生徒さんは俳優志望の方は皆無で、社会人の方々が多く、ほとんどの方が「ワークショップ/研修」などの講師をされています。しかも「学びたいこと」が明確にある方々なので、どんどん質問がでてきます。わたしは、それに答えるべく、私なりにいろいろ工夫しています。

今日はまず、ワークショップをプログラムする「前段階で必要なこと」について、いろいろディスカッションをしました。Kolb の体験学習モデルを紹介しつつ、ワークショップのフレーミングについて解説。講師が陥りやすい点として、「ワークショップ/研修」の内容をまず考えがち。ということがあります。内容ももちろん大事なのですが、それ以前にまず考えなくてはならないことがあります。それは「このワークショップの位置づけ」です。このフレーミングを明確にすることで、参加者が目的を理解し、この場で100%表現するパーミッションを与えられるのです。これが不明快だと「なんでこんなことをやらせるんだ?」ということになります。

そして、このフレーミングを成り立たせるためには「場」を考える必要があります。
ワークショップ/研修の場の在り方について、清水先生の「場の思想」から解説しました。これは清水博先生の素晴らしいご著書を読んでいただいたほうが良いのですが、今回は、僭越ながら自分なりに表現できるところまでを。

その後、それに関連して「安全な場」をつくることの大事さ。
たとえば演劇の初心者対象の稽古は「見学者不可」が多いです。これは演劇を学ぶ生徒たちに「ここならどんな自分をさらけ出しても大丈夫ですよ。安全ですよ。」というメッセージであり、「外部からの批判者」がいない場をつくることが初心者には大事だからです。それだけ「表現する」とは危険で恐い行為なのです。このあたりを繊細に理解できる指導者でないと、「いきなり人前でやらされて」参加者が傷つくことになります。(このあたり、もっと詳しく書きたいことですが、またいつか)もちろん熟達した役者さんたちなら、見学者がいても問題ないと思いますが、その前に、まずは「安全の場」で表現体験をつむことが必要です。

その後「相手/今の瞬間に意識を向ける」ことをテーマに、いろいろなエクササイズを行いました。
やったエクササイズは以下。

「あなたわたし」
「あなたわたし」いろいろバージョン
「手と手ーリーダー&フォロアー」(先日ドイツで習ったバージョン)
「イルカの調教師」
「秘密の目的」

生徒さんの中で「研修でロープレをやるのですが、ほとんどみんなできません。どうしたらいいでしょう」という質問への答えでもありました。ロープレをやるためには、その前のウォーミングアップや場作りが必要です。それなしで、いきなり表現するのは無理。そしてロープレ自体も、何らかの仕掛けが必要。みんなが恥をかかず、シーンに集中し、学びを起こすことのできる仕掛けです。そのためのエクササイズの内容と流れになっています。

さてここからが本題。(ここから本題?スミマセン長くてゴメンナサイ〜!)

この授業で、ある生徒さんから、以下のような質問を受けました。

「あるインプロの本当をよみました。冒頭に、自由を語っていると著者は述べていましたが、文中のほとんどは、これはいけない、あれはいけないという内容でした。これは矛盾していると思いますし、すごく悲しい気持ちがしました。先生はどうお考えですか。」

わたしはこう答えました。
どの本のことを述べているか分かりませんし、おそらく私はその本を読んでいないかもしれません。それにその本自体を責めるのは(すでに出版されてしまっているので)無意味かもしれません。

しかし一般的な意見として、現在、インプロについての理解はマチマチです。まだ未開発です。国際的にもそうです。たとえば、日本ではキースの本だけが出版されていますので「キースの考え方が正しい」と思う人たちも多いかもしれません。私もキースは素晴らしいと思っています。キースのことは大好きです。

しかしキースの考え方「だけ」がインプロではありません。たとえばヨーロッパのインプロバイザーや国際的な応用インプロの世界では、キースだけを妄信している人たちは本当に一部です。それ以外のほとんどのひとたちは「キースもいいけど、それ以外の考え方もあるよね」という立場です。キースを知らない人も多いです。そういう状況なのです。でも日本で、この状況を知っている人たちは、本当に少ない。

またさまざまな人がインプロについての本を出版したり、ワークショップをおこなっていますが、私を含め、ほとんどの人が、「経験知」でいろいろ言っているのです。あくまでも「その人が経験したことからの知見」であり、それが普遍的なものだとは限りません。それが本当にいいものなのか?ということについて、ちゃんと実証していません。ある人にとってはいいかもしれないけれど、ある人にとっては全くフィットしないということも十分あり得ます。もちろん「経験知」は素晴らしいものです。直観や無意識と結びついているなにか。価値があるものだと思います。しかし、それが「すべて正しい」ということはだれにも言えないのです。

言い方は悪いかもしれませんが、そういういろいろな位相の情報が有象無象に飛び交っているのだということを、みなさんが知っていることが必要です。その情報は、あなたにとって大事かもしれませんし、そうではないかもしれないということなのです。みなさんのリテラシーが大事なのです。

たとえば日本語には翻訳されていませんが、あるインプロ本には「ジョンストンがインプロを作った」と書いてありました。これを知ったとき、ものすごくショックでした。だって明らかに間違っているんですもん!即興演劇は古代イタリアで発祥したと言われていますし、その前だって儀式的なことは即興でなされていた訳で、、、。
しかも、恐いことに、応用インプロ界で名を知られた人たちが、この著作のアドバイザーとして名前を連ねています。この本をおススメしてしまっています。おそらく、その人たちも内容までは確認しなかったのではないかと思います。もしくは「そんなことは小さなことだから、ま、いっか」と思っているのかもしれません。本当の所は分かりません。でもその本を手にとる人たちの中には「こんなに経歴がある人たちがアドバイザーなのだから、きっといい本に違いない」と思って手に取る訳です。そして内容を鵜呑みにしてしまったら?それを考えると、ちょっと残念です。

そもそも、せっかく本を出したのに、内容がこんなんじゃ悲しいですよね〜。もったいないよぉ〜。ちょっと調べれば分かることだし〜。。(急に感情的になる私。ごめんなさい!)

望むことは、読者や受け手が、自分なりの意見を持つこと。他者の言うことを鵜呑みしないこと。
何にでも盲目的に簡単にイエスするのではなく、自分の感性や知性や本能が発していることに耳をむけ、そこにイエスすること。なんじゃないかなあー。もしかしたら「イエス」の場所とタイミングが違っているんじゃないかなぁ〜なんて。。

科学は問いを立てることから始まります。
日常に疑問を持つことから、創造は始まります。
だから疑問を持つことは悪いことじゃない。

そんなことを言いたくて、長々と書きました。

こんな駄文におつきあいくださり、ありがとうございます!

以下、さらなるつぶやき。

それにしても、こうやっていろいろ疑問が湧くおかげで、”日本人にとって「即興劇」とはどういうことなのか?”についていろいろ考えるようになりました。

そもそも、なぜアメリカ人から「イエスアンド」が生まれたか?ということを考えてみると、それは西洋の文化と結びついているわけです。それを日本人の文脈で受け取ってしまうと、別の意味になってくる。そのからくりを知っていないと、むりやりアメリカ人のハイテンションで「いえぇ〜!」と言わなくてはならないことになります。そして心の中では、「なんとなくついていけないなぁ〜」と思いながらも、「でもついていかなくちゃ、明るくいなくちゃ。そうできない自分が悪いんだ」ということで自分を責めてしまう。

でも、日本人の文化の中にはすでに「即興」の芸術がたくさんあったわけで。
日本人の文脈として「即興演劇」を語ることが、おそらくできるんじゃないかなと思っています。

そして、こんな風に、いろいろ考えていけるのは、「訳の分からない/矛盾した活動をしている人たちが作り出す事象」に疑問を持っているからです。

人ではなく「その事象」。だから私だって、そういう「事象」を作り出しているのかもしれません。

そういう意味では、そういう事象を起こしてくれていることにお礼を言わなくてはなりません。

そして私は、そういう物事にできる限り気がついて、出来る限り考えて、間違えるかもしれないけれど、こうやって発表して、もしかしたら誰かから叩かれて、誰かから嫌われるかもしれないけれど、そんなことも含めながら成長していけたらと思っています。

長々とおつきあいありがとうございました。

感謝をこめて

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