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July 15, 2010

あなたはどちら?~「創り出す人」と「消費する人」~

現代は、2種類の人に分けられます。
「創りだす人」と「消費する人」。

「創りだす人」はクリエーターであります。
野菜を作る人、家を作る人、自然環境を創り出す人、健康を創り出す人、社会の仕組みを作る人。

そして「消費する人」は、ものを買う立場の人。
新製品の発売に並ぶ人、バーゲンに行く人、病人、外国に行ってショッピングだけして帰ってくる人などなど。

そして、「創る人」はどんどん豊かになり、時間ができますので、もっと「創る」時間が増えて、さらに豊かになります。「消費する人」はどんどん貧しくなります。何かを消費するお金が足りないので、もっと働かなくてはなりません。働いたお金は「使う」ことでさらに「消費」されていきます。ゆとりはなくなり、遊び心はなくなります。目先の「刺激」を求め、どんどん「買う」。これって、結果的に自分を消費していることにもなりかねない。。。ですよね~。

日本には、ちょっとだけの「創造者」と、ものすごい数の「消費者」がいます。
ちょっとだけの「創造者」はものすごくお金持ちになって裕福な暮らしをし、圧倒的な「消費者」はどんどん貧しくなっています。すごいのは、「消費者」は自分が「ただ消費しているだけの生活をしている」ということに気がついていないし、もちろん罪悪感なんてもっていないこと。

格差は広がるばかり。。。

新製品に飛びつくのは刺激的かもしれないし、コンビニ弁当だけの食生活は超簡単。
バイキングで山ほどお皿にとって、山ほど残す。ものが壊れたら新しいのを買えばいい。結構なんでも安いしね。100円ショップで山ほど買うの、ほとんどは使わないものばかりなのに。新しいアトラクションが増えたら、何時間でも並んで乗る。車がステイタス。見栄えがステイタス。いつもお金のことを考えなくちゃ。お金のためならなんでもする。買いたいものが沢山あるんだもん!

でも、これらの(「消費する人が考える)「リッチ」さは、実は自分を消費しているだけ。
もっとも「貧しい」行為なのかもしれません。。。
至極の貧しさなのだということを、そろそろ気がついたほうがいいのではないかしら、知的日本人。

ただ、お金を儲けている人たちにとっては、自分がもっと裕福になるために、「消費する人」が必要なのだから、日本人の目ができるだけ覚めないようなワナを次から次へと仕掛けてきます。「消費する人」が飛びつくように刺激のあるもの、プライドや怠け心を刺激するような商品をどんどん出してくる。。。。

だから、よっぽど自覚していなければ、「消費する人」が「創り出す人」の世界へ移行するのは難しいのかもしれません。。。

難しいものですね。。。

できれば、わたしは、あまりワナに引っかからずに、「創る人」の側にいたいと思っています。

いろんな誘惑に惑わされないようにするのが大事ですね。。。。

あ、新製品♪♪

あああ、、、注意!

気をつけなくてはなりませぬ。

(苦笑)

あなたは、「創る人」ですか、「消費する人」ですか?

May 04, 2007

「素敵さ」にフォーカスしよう!人権問題に関する映画フェスティバルにて。

ただいまオークランドでは「Human Rights Film Festivalー人権に関する映画フェスティバル」が行われています。

昨日わたしは夫とともに、オープニングの作品を観に行きました。
エイズに関するコンゴの短編映画と、「We are all nomal」というヨーロッパの知的障害者たちの生活を綴った作品でした。

わたしは、正直に言って、障害のある方々のことをあまり知りません。
親戚に障害者が何人かいますが、残念ながらあまりお付き合いがありませんし、ワークショップをさせていただくことがありますが、それ以上のお付き合いのチャンスがなかなかありません。

ワークショップでご一緒すると、いつも障害のある方々のチャーミングな魅力に圧倒されます。みんなのことが大好きになります。もっと長い時間いっしょに活動したいと思います。すんげ~チャーミングな人たち!
そして、映画に登場した障害者のみなさんもやっぱり魅力的でした。

世の中には「働けるか」「働けないか」という基準で人間の価値を決める傾向があって、たくさん働ける人はえらくて、あまり働けない人はまぁまぁで、まったく働けない人はダメというレイベリングをされてしまいます。
だから障害者の人たちへ「仕事の斡旋」についても議論になります。仕事をしないと人間じゃないのでしょうか?

働けなくても、働かなくても、(他動的にも、自主的にも)、人間には変わりなくて、生きてくれているそれだけで価値があるはず。つまり全ての生き物に意義がある。たとえば、コンクリートの裂け目に咲くスミレをみて、「ああ、このスミレも懸命に生きているんだから、自分もがんばろう」と思う人もいる。動物たち(まったく生産性のない生き物たち)が、人間を癒してくれる。。。

映画の後、人権問題の権威者と、車椅子のオーガナイザーと、知的障害をもつ2人のゲストスピーカーがそれぞれ映画の感想などを発言し、客席とのディスカッションが行われました。

いつもは自分の英語レベルを恥じて、公共の場ではできるだけ発言しない私ですが、このときは自分の気持ちを伝えたくてたまらなくなり、手をあげて発言しました。

彼らがすごくチャーミングであること。
そして、この世で「Disable」な人間なんていない。

っていうこと。
それが言いたくて。
(ニュージーランドではマイノリティであるアジア人のわたしが、公共の場で発言することも意味があると思えました。)

オーガナイザーである車椅子のマオリ女性は、弁護士なのにひとつも仕事がないと言っていました。
年間1億人の子どもがエイズで死んでいます。貧困問題を解決するだけの資金は、この地球にはありません。
地球の温度は上がりつづけています。あまりに大きな問題でめまいがしそうです

地球規模の人権問題は、少人数が小さな映画館で話し合ったからといって解決できるようなものではありません。わたしたちは無力です。知れば知るほど、自分が無力であることを思い知らされるのです。

でも、一人の声からしか始まらないのであれば、やはり声を出すことにも意味があると思います。

そして、「暗さ」にフォーカスするのではなく、「素敵さ」にフォーカスしていくこと。

恥ずかしがらないで発言すること。

そして問題の深刻さに飲み込まれて、さらに深刻になるのではなく、ワハハと笑いながら、ウフフと微笑みながら、嬉しさや楽しさの中に解決を見つけていけたらと思います。それはすごくささやかな小さな声かもしれないのですが、その反面、ものすごく力強いものであるとも思えるのです。